実際につくば市に住んでみると分かるのだが、昔からこの地に住む地元民と、外からやってきて、やがて退出していくニューカマー(学生、教員、研究者など)の間には見えない壁がある。使う言葉から職業に対する考え方に至るまで大きな違いがあり、普通に暮らしている限り、両者の接点はあまりない。

 いわゆる歓楽街のようなエリアも一応はあるが、規模は小さく、大学関係者はあまり近づかない。自殺者との関連性については断言できないが、等質な人間が集まっているという指摘はその通りである。

筑波大学 公式サイトより

都市伝説が多く生まれ、広まった「魔境つくば」のイメージ

 こうした学園都市の負の側面の中から「星を見る少女」「人面犬作りの極秘計画」などの有名な都市伝説も多く生まれ、一部で「魔境つくば」のイメージが作り上げられていった。

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 1980年代に広まった「姉さん団地」の逸話は、そうした都市伝説の代表例である。

 つくば市の「学園西大通り」沿いに、13階建ての国家公務員宿舎があった(現在も残存するが、解体予定で住民はいない)。あるとき、その宿舎の外壁に文字のような黒色の亀裂が発生した。それが「姉さん」とも読めたことから「宿舎に住む男の子が大通りで交通事故に遭い死亡、その男の子には非常に仲のいい姉がいた」というまことしやかなホラー・ストーリーが広まった。

 この「姉さん団地」は、当時高視聴率を誇った民放のミステリー番組に取り上げられた結果、心霊スポットとして全国的に有名になってしまったが、少なくとも1990年には新たな塗装によって文字は消されていた。

 70年代から80年代にかけ、現地付近で男児の死亡事故があったかどうか、改めて報道記事を検索してみたが該当する事例はなく、男児が何らかの理由で事故死、あるいは自殺したというニュースもなかった。「姉さん団地」のストーリーが何の根拠もない、後付けのデマだったとすれば、当時の住民にとっては迷惑な話だっただろう。

つくば万博の様子 つくば市提供

 大成功をおさめた万博の反動ともいえる「人工都市批判」は90年代以降に沈静化したが、代わって全国的な注目を集めたのが、筑波大学を舞台とした2件の殺人事件である。

 1991年に発生し、未解決のまま公訴時効を迎えた「『悪魔の詩』翻訳者殺人事件」。そして1994年に起きた「つくば母子殺人事件」。この2件の殺人事件はそれぞれ違った意味で当時の大学関係者に衝撃を与えた。

 今後、大学生活を送る悠仁さまの安全を守るのは、皇宮警察と警視庁、そして地元の茨城県警ということになるが、ここにきて「警視庁幹部が、皇室警護のノウハウがない茨城県警の能力を不安視している」という報道も相次いでいる。

 茨城県警の実力が試された前述の2つの事件とはいったいどのようなものだったのか。ここで改めて振り返ってみたい。

次の記事に続く 筑波大学内でイスラム学者が殺害され、筑波大卒の医師が妻子3人を殺害&遺棄…つくばで起きた凄惨すぎる「2つの殺人事件」《悠仁さま4月から筑波大へ》