宮内庁は2月27日、秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの「成年式」が今年9月6日に執り行われると発表した。
男性皇族の重要儀式である「成年式」は、1985年の秋篠宮さま以来40年ぶりで、悠仁さまは成年式に先立つ3月3日、赤坂東邸で初の記者会見に臨み「公的な活動についてですが、大学在学中は学業を優先させていただきながらにはなりますが、少しずつ携わっていくことになると思います」と成年皇族としての抱負を述べられた。
悠仁さまが18歳の成年を迎えられたのは昨年9月のことだったが、会見は大学受験のため先送りされていた。今春より、筑波大学(茨城県つくば市)の生命環境学群生物学類に進学することが決まっており、3日の会見では「新生活」を控えた心境についても語られるものと見られている。
「悠仁さまにも寮に暮らしていただければ」という学長の希望が“ほぼ不可能”な理由
筑波大への進学が決定した昨年12月以降、メディアの関心を集めてきたのは悠仁さまの「通学方法」だった。
吉田尚正・皇嗣職大夫はこれまで「赤坂御用地から車で通学することになる」とメディア向けに説明してきたが、片道約70キロ、時間にして往復3時間もの通学が果たして可能なのか、学業への影響や警備上の問題からその実現性を疑問視する向きもあった。
そこで「つくばと赤坂の二拠点通学」や「TX(つくばエクスプレス)利用」など、さまざまな説が飛び交っているわけだが、そのなかで関係者の間で一笑に付されてしまったプランがある。それが永田恭介・筑波大学学長の「学生宿舎入居説」だ。
永田学長は昨年12月、悠仁さまの合格決定を受け、「あくまで個人的な考え」として次のように述べた。
「筑波大学は寮に入ることを基本とした大学で、希望としては悠仁さまにも寮に暮らしていただければいいと思う」
無理である。たとえ悠仁さま自身が宿舎生活を希望したとしても、一般の学生と皇位継承順位2位の悠仁さまが、壁一枚を隔ててともに生活することは考えにくい。
筑波大出身の筆者は90年代前半にこの宿舎で2年間、暮らしたことがある。当時はいまのように静脈認証式のオートロックシステムもなく、部外者が誰でも自由に出入りできる状態だった。
5畳半ほどのワンルーム(将棋の駒のような形をしたおかしな間取りだった)には簡易なベッドと手洗い場があるだけの、拘置所の一室のような作り。
風呂・トイレ、洗濯・乾燥機は共同(風呂は銭湯)、クーラーもなく携帯やネットはもちろんのこと、固定電話回線の設備すらなかったので、外部からの緊急連絡は電話を受けた管理事務所の職員が直接部屋までやってきて、不在の場合はメモ書きをドアに貼るという超アナログの運用がなされていた。