大学構内の配達を担当していたSさんは工学系の学類に所属する学生だったが、お盆の時期で実家に帰省しており、連絡先は分からない。「分からないです」と言うと、店長はこう続けた。
「事件から1カ月も経って、いまさら不審者の聞き込みしてるようじゃなあ。犯人はもう外国に逃げてしまったんじゃないの」
店長も、外国人犯人説を信じ切っているようだった。そもそも、朝刊が店舗に到着するのは午前2時過ぎである。折込み広告をセットして、出発する時刻は早くて3時半。そのころには実行犯は逃亡していたはずだ。
結局、Sさんも不審人物を目撃していないことが分かり、刑事の聞き込みは空振りに終わった。9月に入り2学期が始まると、ところかまわず情報提供を呼び掛けるチラシが学内に貼られていたが、ネットやSNSがない時代のことである。事件が風化するスピードは速く、そのうち学生の間でも話題に上らなくなった。
結局、実行犯を特定できないまま、事件は2006年、公訴時効を迎えている。
一時期、短期留学生として筑波大に在籍していたバングラデシュ人が事件当日、成田空港から出国していたという報道もあった。
もっとも、もしこの留学生が犯行に関与していたとしても、国際テロ事件などほとんど扱ったことがないはずの茨城県警にとって、バングラデシュと連携して国際捜査をするというのはハードルの高すぎる難事件だったことは間違いない。
なお、『悪魔の詩』の著者であるラシュディ氏は2022年、ニューヨークで講演した際にイスラム革命防衛隊を支持する24歳の男の襲撃を受け、重傷を負っている。五十嵐助教授の殺害犯が海外に逃亡している場合、時効は成立していない可能性が高く、その意味でこの事件はまだ終わっていないのである。
筑波大学卒のエリート医師が妻、子どもを殺害する凄惨な事件も
五十嵐教授が殺害された3年後の1994年には、つくば市で母子3人が殺害される事件が発生した。「つくば母子殺人事件」と呼ばれたこの事件で逮捕されたのは、被害者の夫、父であった医師、野本岩男(当時29歳)である。
筑波大学医学専門学群を卒業したエリート医師だった野本は94年10月、自身の愛人問題などから妻(31歳)と口論になり、つくば市の自宅で妻の首を絞め殺害。その後、長女(2歳)、長男(1歳)も殺害し、遺体を横浜港に遺棄した。
野本はその後、カモフラージュのための家族捜索願を茨城県警に出す一方で、この期に及んで愛人との不倫旅行を計画するなど身勝手な行動に走っていたが、自家用車でつくば市から高速道路を経由して横浜港へ向かうNシステムの記録が決め手となり、11月25日に逮捕された。

