町の書店が消えてゆくスピードが恐ろしい。今年に入ってから、何十年も馴染んだ書店がたて続けに閉店し、唇を噛んできた。二〇〇〇年には全国の書店数二万一六五四軒、一七年には一万二五二六軒、ほぼ半数に激減(本の未来研究会刊行「本の未来研究会リポート」002より)している。私が住む町でも、とうとう一軒だけになってしまった。
しかし、である。では閑古鳥が鳴いているかといえば、違う。入れ替わり立ち替わり老若男女が訪れては、棚を眺めたり、今日の一冊を買っていったり。出版を巡る状況は激変しても、書店という場所をひとは手放そうとはしない。
本書は、町の書店三十四軒の店内風景を写真と文章で紹介するユニークな一冊だ。現在も連載中の「本の雑誌」巻頭グラビアページを編集、既刊『絶景本棚』と対をなす。『絶景本棚』では、個人の蔵書風景を捉え、本書では各店それぞれの書棚のようすをクローズアップ、書店の顔を焙り出す。目を皿のようにして玩味するうち、しだいに浮上するのは周到な仕掛けの面白みだ。
売り場面積、通路の幅や長さ、棚の配置など、店舗の条件はまちまち。お客の購買傾向を計算に入れつつ、オリジナリティをどう打ち出すか、腕の見せどころ。平台に、わざわざ斜めに本を陳列して違和感を演出する平塚市「サクラ書店ラスカ平塚店」。石垣市「山田書店/タウンパルやまだ」は、沖縄一を任じる沖縄本が圧巻の充実ぶり。スペースが狭い店では、売りたい新刊を二冊並べて棚差し。同じテーマの本や雑誌のバックナンバーを集めて並べ、選択の幅を広げて購買につなげる。あえて泥臭く、あるいはツボをくすぐる手描きPOP……あちこちからタンカバイの声が聞こえてくる。書店は、知の小宇宙であるとともに、同時代の空気を吸う者同士がやり合う丁々発止の場でもあるだろう。
新宿区矢来町、校正会社経営「かもめブックス」についての一文。
「『本を読まない人にどう届けるか』を店の主眼にしているだけあって、老若男女に開かれた居心地の良さがある。書籍の在庫は七千点から八千点と決して多くはないが、知らない本が山ほどあるような錯覚に陥る」
さすがは「本の雑誌」編集部編、「かもめブックス」の魅力を喝破。本を作る側の視線を交差させ、本書に血のぬくもりを与える。
表紙の親しみやすさに、頬が緩む。杉並区西荻窪「今野書店」の朝、エプロン姿の今野社長がシャッターを上げるひとコマ。今年創業五十周年を迎えた「今野書店」は、一階の売り場面積六十坪ながら、コミックの次に文芸書の売り上げを誇る希有な書店だ。ある朝、私は開店前九時におじゃましたことがある。今野社長以下、書店員五人が大忙し。発売当日、入荷したての雑誌の付録入れ(書店側の作業と知って驚いた)、棚の空きスペースの補充、新刊書や注文書の配置替え、配達する雑誌や書籍の仕分け……知恵と工夫と体力勝負、仕事の量と奥行きに頭が下がった。
いっぽう、愛されながら無念の閉店を迎えた書店も記録されている。代々木上原「幸福書房」、池袋「リブロ池袋本店」ほか計四軒。ありし日のなつかしい姿と再会しつつ、きびしい現実が切ない。
書店に行けば社会がわかる、ひとの仕事が見える。大切な場所をこれ以上失ってなるものか、という低いうなり声が、本書から聞こえる。