被害者の会が8億円の損害賠償を請求

 この詐欺事件についての資料は少ないが、『北の砦 ルポルタージュ 鳥生忠佑と北法律』(日本評論社)において、当該事件と、その後派生した手形訴訟についての経緯が詳述されている。

 実はこのときに大和観光建設が販売していたのが、前述のファミテックNIKKOリゾートクラブの会員権だったのである。その当時、ファミテックNIKKOは現役のリゾートクラブとして営業中ではあったが、大和観光建設はその会員権を、日光周辺の分譲地の所有者に売りつけていたのだ。

 この手口自体は、今日でも投機型分譲地の購入者やその相続人に対して行われる詐欺まがいの手口の典型である。

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 リゾートクラブというビジネスモデルが衰退した今日では、会員権ではなく、別の無価値な山林などを高値で買わされるケースが多いが、同様の被害は今でも全国各地で相次いでおり、国民生活センターによる注意喚起も行われている。

 ファミテックNIKKO会員権の詐欺事件においては、販売者である大和観光建設が、別法人であるファミテックNIKKOの会員権を売り捌いていた。

 そのためファミテックNIKKO(日光商事)側は、売買のトラブルはあくまで大和観光建設と顧客の間によるものであって、ファミテックは関与しておらず会員権の返品・返金にも応じられない、という態度であったが、被害者の会は納得せず、最終的にはファミテック・大和観光建設ともに8億円に及ぶ損害賠償請求訴訟を起こされることになる。

1区画10坪にも満たない「会員権」の残骸

『北の砦』は、大和観光建設の債権者である複数企業と被害者の会の間で、その後発生した手形訴訟に関する経緯の解説がメインであり、当時のファミテックNIKKOのリゾートクラブの運営手法や仕組みを解説している項目はない。

 新聞報道も少なく、当時のファミテックNIKKOの経営実態を明らかにできる資料は見つからなかったが、登記簿に記載された所有権移転登記の時期から見て、ファミテックNIKKO内の膨大な数の狭小地の大半は、このときに会員権として分譲・販売されたものと見て間違いない。

 狭小地の区画には、古いものでは1975年頃に販売されたものもあるが、大半は1978~80年頃に販売されている。被害者の会による損害賠償請求訴訟が起こされたのは80年10月である。

 ファミテックNIKKO別荘地内に今も残る高層ホテルの廃墟は、元々ファミテックの運営会社が建築したものであり、登記はファミテックの代表取締役の個人名で行われていた。

 しかし、一連の裁判の中で資金繰りが悪化したのだろうか、88年に同ホテルは競売に掛けられ、翌年、前述したように春日部市の法人の手に渡ったが、今はいわゆる「心霊スポット」に変わり果てている。

 ファミテックNIKKOの諸施設は、やがて別法人の手に渡り、「ファミテック」の看板名だけ残したまま、今は学生の合宿などを想定した宿泊施設に変わって営業が続けられている。変わらず今も残されているのは、1区画10坪にも満たない地面の切れ端となった「会員権」の残骸だけである。

写真=吉川祐介