別荘地ブームが隆盛を極めていた1980年代。思いもよらぬ方法で「小さな投資で大きく楽しめる会員制別荘」を運営していた業者があった。現在、その業者が管理していた地域、建物は廃墟と化し、有名な心霊スポットになっている。
多くの人が憧れる“別荘”はなぜ廃墟になってしまったのか。ここでは、ライターの吉川祐介氏による『バブルリゾートの現在地 区分所有という迷宮』(角川新書)の一部を抜粋し、栃木県にあった別荘地「ファミテックNIKKO明神」の事例を紹介する。(全2回の2回目/1回目を読む)
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「会員権」は別荘地の地面の切れ端
本来は利害関係者全員で維持管理すべき土地を細かく分割し、それを各個人が所有することによって、疑似的に「共有」の形態をとる手法は私道でよく見られるが、この、分割した地面の所有権を「会員権」として販売してしまった業者がある。
栃木県旧今市市(現・日光市)において1973年頃から、日光商事株式会社(89年解散)によって開発が進められた「ファミテックNIKKO明神(みょうじん)」別荘地は、「小さな投資で大きく楽しめる会員制別荘」というコンセプトで、特定の施設ではなく、別荘地全体を会員向けの施設として開発するという手法を採用していた。
『バブルリゾートの現在地 区分所有という迷宮』の第四章と第五章では、会員制リゾートクラブについて解説したのだが、会員令リゾートクラブは施設によって規約の違いはあれど、基本的にはある施設を会員が共有することでその利用資格を担保していた。
一方でファミテックNIKKO明神は、別荘地内に造られた滞在用の建物のほか、テニスコートやクラブハウスなどの利用が可能な「会員権」を販売していた点は同様だが、その担保が異様なものだった。
同社は建物の共有持分ではなく、別荘地内の共同利用施設(テニスコートなど)の土地を、狭いものでは1区画14平米にも満たないような数百筆の狭小地に分割し、それを各会員に分譲販売することによって会員資格としていたのだ。
ファミテックNIKKOは、別荘地開発がピークに達していた70年代初頭、分譲価格が高騰し、なかなか一般の庶民が別荘地を購入し建物を新築できる状況ではなくなっていた中で誕生した。わずかな面積でも別荘地内の土地を所有してオーナーになり、ファミテックNIKKO別荘地全体を共同で利用できる、というコンセプトを目指したものらしい。
そのコンセプト自体は一般的なリゾートクラブとあまり変わらないが、特定の建物ではなく別荘地全体に発想を適用したケースは珍しい。
その結果誕生したのが、もはや収拾がつかないほど細切れにされ、再利用も不可能となった地面の切れ端であった。