事故後に双葉町へ一時帰宅する時も、しばらくは大沼さん1人か夫婦2人だった。しかし20年に立ち入り規制が緩和されてからは、何度か家族4人で双葉町へ入ったという。22年1月29日には、子どもたちを連れて双葉町にはじめて宿泊した。
「2人が小学生の頃、原発事故のことをきちんと伝えないといけないと思って双葉町に連れて行きました。町に行って、標語の看板があった場所で写真を撮り、元々の風景の写真も見せました。できれば本当の看板を見せたかったのですが……。看板の近くは桜が咲いていたので、4人で花見をしました。震災を伝えるという意味で2人を連れていってよかったと思います」
「最近は双葉町のことを考えない日も増えてきた」
現在は2人の息子は茨城の野球チームに所属しており、22年には35年ローンを組んで古河市内に一軒家を購入した。生活が忙しくなる中で、大沼さんは「最近は双葉町のことを考えない日も増えてきた」という。
事故後に積極的に参加していた各地の原発再稼働反対の集会などにも、今ではほとんど参加していない。
「愛知県に避難していた時期は、反対運動に参加して講演も何度もしていました。しかし最近は講演会も断っています。いま頭の中は子どもの野球のことでいっぱい。中学で硬式のリーグに参加していて、練習や遠征への送迎をしています。将来は聖光学院に入って甲子園に行ってほしいと思っています」
古河市から最も近い原発は、日本原子力発電の東海第二発電所で約80キロ。日本で初めて、事故被曝による死者を出した東海村に存在している。
「今は第一原発からは約180キロ離れていますが、茨城でも原発は他人事ではない。原発がない地域は沖縄くらいですから。ただ、だんだん危機意識が薄れているのもたしかです」




