前川さんも検察に対しては口調が強まる。
「怒りを通り越してあきれましたね。無実の証拠を隠すわけですから。もはや正義の名の下で働く人の名折れと言っていいでしょう。やりきれない思いです」
結審後の記者会見でも、弁護団に「検察が、番組を証拠から撤回しても有罪立件に影響はないとする理由は?」と尋ねると、「事件の日もアン・ルイスと吉川晃司は出演していたので検察は『勘違いした』として影響は限定的としました」と説明した。
前川さんの、弁護団長を務める吉村悟弁護士も、検察のずさんさを強調する。
「検察は『夜のヒットスタジオ』に関する証言を有力な証言として扱っていたのに、事実と違っていたとなると勘違いで済ませる。しかし2人が同じ勘違いをするはずがない。しかも証拠隠しの不正について謝罪もしない。こんなことをしていては公益の代表とされる日本の検察は崩壊する」
「息子が犯人だと思ったことは一瞬たりともない」と父親は話していたが…
前川さんの無罪を信じていた母は、再審を待たず2004年に亡くなった。姉は「弟が殺人犯」という世間の冷たい視線に耐えられず姿を消したままだという。
今回の公判では施設に暮らす父親の礼三さん(92)にも裁判所が特別席を用意していたことを前川さんは父に告げたが、体調の関係で「お前だけで行ってこい」と送り出されたという。
十数年前、礼三さんは「息子が犯人だと思ったことは一瞬たりともない」と話していたが、それでも父子の関係は簡単ではなかった。
「公務員(福井市役所職員)でエリートだった父親に対して、私はコンプレックスも持ちながらも父は理想の姿でもありました。それゆえ、日常生活でそうでないような父の姿を見てしまうと裏切られたような気持になってしまい、暴力を振るってしまったこともあったんです……」
法廷で前川さんは最後に「今、前を見て歩いている自分がここにいます」と大きな声で述べた。「以上」としたがもう一度「無罪です」と訴えた。
記者会見では「38年間の思いをすべては語れないが、言いたいことは言えた」などと話した。
7月18日の判決の日、どんな結末が待っているのだろうか。


