大昔、記者になって岡山地裁で初めて殺人事件の法廷を取材した時のこと。裁判長が「では検察官、証拠の提出をお願いします」と指示した。現場の遺留品でも出てくるのかと期待したら、検事は取り調べの調書を渡していた。

「そんなものが証拠なのか」と大いに疑問を持ったものだ。

 調書を証拠とする危険性が招いた象徴的な冤罪事案が、このほど事件から38年ぶりに男性の再審が決定した福井市の女子中学生殺人事件である。

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10月23日、冤罪被害者の遺族らと喜び合う前川彰司さん(右) 撮影・粟野仁雄

 1986年3月20日未明、福井市の市営住宅で、市立光陽中学3年の高橋智子さん(当時15歳)が殺されているのを帰宅した母親が見つけた。両親は離婚しており智子さんは母親と2人暮らし、母親は19日午後6時ごろからスナックにホステスの仕事に出かけていた。

 智子さんが殺されたのは19日の午後9時40分頃。2本の文化包丁で顔面や首、胸をめった刺しにされた上、ガラス製の灰皿で頭や顔面を殴打され、電気カーペットのコードで首を絞められていた。死因は出血、脳挫傷、窒息の複合だった。鴨居から電気コードがぶら下がっていたなど自殺を装うような跡もあったが、それなら刺したり殴ったりはしまい。

 玄関などで争ったような跡はなく凶器はすべて智子さんの家にあったもの。室内物色の様子もなく、智子さんの着衣に乱れもなかった。

暴力団員Aの「事件の夜、血だらけの前川を見た」という証言

 福井県警の捜査本部は強盗や強姦目的ではなく、夜、智子さんが1人になることを知っていた顔見知りの怨恨による犯行とみて、智子さんの交友関係者の他、シンナー中毒の若者も捜査対象とした。当時、若者のシンナー中毒が社会問題になっていた。中毒患者で21歳だった前川彰司さん(59)は、事件の2週間後に聴取を受けたが、無関係とされて放免されていた。

 有力な物証も決め手もなく捜査は難航したが、1年後の1987年3月29日、捜査本部はスカイラインに残されていたO型の血痕が智子さんと一致したとして前川さんを殺人容疑で逮捕したのである。

再審開始決定書を手に裁判所から出る前川彰司さん 撮影・粟野仁雄

 決め手となったのは前川さんの遊び仲間の暴力団員Aの「事件の夜、血だらけの前川を見た」という証言だった。警察と検察はその他5人の遊び仲間の証言から次のようなストーリーを作った。

 3月19日の午後9時頃、知人のBが前川と会い、スカイラインに乗せて現場に行った。前川が下りて智子さんを訪ねて殺した。Aは前川をかくまうために知人女性H子の部屋に前川とBと別の知人Nを連れてゆき、その後前川はそこを出てAとI子が暮らす部屋を訪ね、シャワーを浴びて寝た。翌日、Aが前川を自宅に送り、途中で川に血の付いた衣服を捨てた。智子さんにシンナー吸引をすすめたが断られて激高したのが動機だった。

 血痕は後に智子さんとは別人の血痕だと判明した。衣服は見つからなかった。