広島、長崎の惨劇への糸
カナダ政府も関与し、原爆の材料を送り続ける。広島、長崎の惨劇への糸は、カナダからも伸びていたのだ。
その間、会社の社名は、エルドラード・マイニング・アンド・リファイニング、エルドラード・ニュークリアへ変わる。
そして、彼らは、新たに有望なウランの市場を見つけ出した。中でも、戦後の復興を遂げた日本は、長期的に安定した需要が見込めた。原子力発電である。
原子力が大きな恩恵をもたらす一方で、背負っている深い業
1960年代、高度経済成長で日本の電力需要は急増した。その大半は、火力発電で供給され、燃料の石油のほぼ全量を輸入に頼っていた。しかも多くは、政情不安定な中東からである。
そのため、各電力会社は原発導入に動くが、それを動かすには、ウランがいる。その有力な供給源がカナダで、次々に現地の鉱山会社と契約を結んだ。
そして、1967年12月、東京電力が契約に署名したのが、エルドラード社だった。そのウランは、当時建設中だった東電初の原発で使われた。福島県の大熊町と双葉町にまたがり、「1F」(イチエフ)と呼ばれるようになる、福島第一原発である。
それから44年後、巨大地震による津波で、3つの原子炉がメルトダウンを起こしたのは、周知の通りだ。
この事故当時の東電会長で、昨年亡くなった勝俣恒久氏は、原発とは「必要悪」との言葉を残したという。必要悪かどうかはともかく、原子力が大きな恩恵をもたらす一方、とてつもなく深い業を背負っているのは分かる。
ラジウムの夜光塗料と戦争、ウランと原爆、そして福島第一原発。そこには、昭和の時代の国や組織、人間の思惑が絡んでいた。世田谷の民家のラジウムは、その歴史の連鎖を照らし出したのだ。
