高校3年間、総代表として「紅恋愛」をまとめていた
――ちなみにギャルサーの名前は?
山城 紅に恋愛って書いて「紅恋愛(くれあ)」です。ダサいですよね(笑)。
――高校3年間、総代表として「紅恋愛」をまとめていたわけですね。
山城 そうですね。高校生活の中でギャルサーの存在は大きかったですね。サークルの範囲を超えて、ビジネスみたいな感じでやっていましたし、メディアから注目されることも増えましたし。
ギャルサーって本当は引退式っていう大きなイベントがあるんですよ。だけど、当時はツアーコーディネーターの仕事が忙しくて、引退式もちゃんとできなくて、なんとなくフェードアウトしていきました。で、その後「紅恋愛」自体、自然消滅です。で、その流れでギャルも引退しました。
ギャル時代は、大人の闇の部分も見てきたので、ここで一旦終了かなって。
「大人の世界ってこんな感じなの?」
――闇の部分とは具体的には。
山城 当時は薬が若い世代にすごく蔓延していて、渋谷のセンター街とかに売人がいたんですよ。普通に誰でも手を出せるものだったし、若い人も普通に買っていたんです。
あとはお金関係でも騙されて夜の世界に連れてかれたり、プロデュース業やるために悪い大人に捕まって、体を売る羽目になったり。そういうのを高校生で見ていたからやっぱりしんどかったですね。「大人の世界ってこんな感じなの?」って。
――高校生で見る世界ではないですね。
山城 私はそういう世界とは距離を置けたのでよかったですけど、今だに引きずっている人もいるみたいですね。高校生でそういう世界に入っちゃうとなかなか出てこれないので。
グラフィックデザインの専門学校に入った
――ギャルサー引退、高校卒業後の活動は?
山城 事務所には所属していたので、オーディションに行ったりはしていたんですけど、やりたいことが見つからなくて。このままやっても仕方ないということで、19歳の時に芸能界も引退しました。で、グラフィックデザインの専門学校に入ったんです。元々絵を描くのが好きだったから。
――好きだったことを生かして仕事にしようと。
山城 そうですね。それに手に職をつけたいなと。
専門学校を卒業してからはフリーでデザイナーをやっていました。で、数年間働いた後、27歳の時に、再びモデルになりたいと思って、モデル業を始めました。モデル業をして、結婚もして、という時期に突然がんが見つかってしまって。