10代の時からテレビや雑誌でモデル・タレントとして活動している山城奈々さん(36)。マンバギャルとしてギャル雑誌で活躍し、ギャルサーの2代目総代表も務めたが、19歳の時に芸能界を引退。27歳で再びモデル業を始めた山城さんだったが、31歳の時に子宮頸がんと宣告された。
そんな波乱万丈な人生の彼女に、ギャルサーの総代表時代、摂食障害になった過去、子宮頸がんと宣告された時の心境など聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
全然メイクもファッションも違うが、ギャルマインドは健在!
――マンバギャルとしてギャル雑誌で活躍していた時とは全然印象が違います。
山城 もう20年近く前なので、メイクもファッションも全然違いますよね。あの頃はとにかく目立ちたい一心でマンバメイクをしていました。今でもギャルマインドは健在ですが、好きなファッションや系統は変わりましたね。そもそもファンデーションの色が全然違いますね(笑)。当時は日サロで全身真っ黒に焼いていたので。
――日焼けもしていたとのことですが、ギャルを辞めてから肌のトラブルはありましたか?
山城 ギャルの中では美意識が高い方だったので、顔だけは焼かなかったんですよ。将来のことを考えて。
だからシミなどのトラブルもなかったです。10代の頃からスキンケアも徹底していたので。あれだけ濃いメイクをすると肌に負担がかかってしまうので、夜はしっかり落としていました。
高身長になるための秘訣があった?!
――お会いしてみて身長が高いことにもびっくりしました。177センチあるそうで。
山城奈々(以下、山城) そうなんですよ。よく驚かれます。高校生になってからグッと伸び始めて。
――ちなみにご両親は身長が高かった?
山城 いやそんなことなくて父が171センチ、母が163センチで普通なんですよ。でも姉は171センチあるので、なんででしょうね。
昔は、「身長が低くて、たぬき顔で、胸が大きい」っていう女の子がモテるって言われていたので、身長に対して今ほどポジティブではなかったんですよ。今はモデルのお仕事しているので、両親には感謝なんですけど。
――幼少期から身長を伸ばすために何かやっていたのでしょうか。
山城 幼少期は正座禁止でした。正座すると足のラインが崩れちゃって良くないって父から言われていて。ビジュアルに関してはものすごく父が気を遣っていて、骨の成長とかに悪いことはあまりしないように言われていましたね。