山城 仲良くしてくれる子もいたので、そこまで凹まなかったですね。でも、いまだに悪口言っているらしくて。地元の友達とかに会うと、そういう話を聞きますね。

 あと、地元の結婚式とかでは、「細いんだからもっと食べれば」って目の前に料理がたくさん盛られたり。そういう時ははっきりと「食べないよ。大丈夫」って言いますけど。

ギャルになるんだったら有名になりたい!!

――中学生からモデルとして仕事を始めるのはいかがでしたか。

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山城 楽しかったですね。最初はあまり仕事という感覚がなかったんです。中学生向けの雑誌に出ていたんですけど、毎回遊びに行く感じで。

――山城さんがマンバギャルメイクを始めたのはいつくらいでしょうか。

山城 高校生になってから本格的なギャルになりたいって思い始めて。で、ギャルになるんだったら有名になりたいっていう欲が出てきちゃって、マンバギャルみたいなメイクを始めたんです。

 日サロに行って全身焼いて、白のコンシーラーで鼻筋描いて、とにかく色の濃いファンデーションを塗っていました。目立つためには他のギャルと差別化しないとと思って、少しキレイめなマンバギャルをやっていました。汚いって思われるのも嫌だったし、彼氏も欲しかったので。

マンバギャルメイクへのこだわり

――とにかく濃くするというよりは、メイクにこだわっていたと。

山城 こだわっていましたね。チークはオレンジにして、パール系のマット肌になるように化粧品を組み合わせたり。あとはスキンケアも結構やっていました。将来シミとかできたら嫌だったから、顔は焼かなかったし、日焼け止めも塗っていました。

 で、ギャル系の雑誌に呼ばれるようになってだんだんとギャルとして有名になっていって。

 

 そしたら有名なギャルサーのアンジェリークの方から、「ギャルコーディネーターっていう仕事があるんだけど、やらない?」ってオファーがあって。ギャルに憧れている地方の子を渋谷とかに案内して、メイクやファッションを教えたり、一緒にパラパラを踊るっていうツアーだったんですけど、それを始めてからテレビで結構注目されて、密着取材を受けるようになって。

写真=山元茂樹/文藝春秋

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