冒頭わずか90秒で作品のジャンル、世界観、伏線を伝えることに成功した富野由悠季監督の代表作『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』。同作のオープニングはなぜ素晴らしいのか? そこから見える富野監督の演出の技とは? アニメ評論家の藤津亮太氏の新刊『富野由悠季論』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

©getty

◆◆◆

富野由悠季の代表作

 映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』は、1988年3月12日に公開された。『機動戦士Zガンダム』(1985)、『機動戦士ガンダムZZ』(1986)に続く映画という位置づけで、富野にとっては初めての、総集編ではない自身の脚本による映画となる。

ADVERTISEMENT

 富野は企画の立ち上がりについて後年、次のように回想している。

 疲れた上で一息ついてみた時に「『ZZ』までやってくれたけど、映画版という形だったらどう?」という話があって、「なんで映画版なの?」と言ったら「シャアとアムロの本当の決着って、ついていないじゃない。これだけはファンの声として受けて、作ってくれない?」と。

『逆襲のシャア』の公開は、『機動戦士ガンダム』(1979)のスタートから9年後である。9年という時間はかなり長く、当時のアニメビジネスの時間感覚でいうなら、『ガンダム』はすでに過去のタイトルになっている。

 プラモデルの『ガンダム』シリーズは依然、売れ線のタイトルであったが、もちろん劇場版公開時の1981年のころの熱気はない。一方で小学生は、モビルスーツなどの頭身を低めに表現した「SDガンダム」に熱中し始めており、『逆襲のシャア』の同時上映は、小学生の動員を期待して、パロディ的なギャグを展開する『機動戦士SDガンダム』(演出:関田修)だった。

 アニメ・シーン全体も大きく変わりつつあった。1983年以降、OVAが普及し、中高生以上をターゲットにしたマニアックなタイトルがリリースされるようになった。一方で映画に目を転じると、1984年には宮﨑駿が完全新作で『風の谷のナウシカ』を、河森正治・石黒昇監督がやはり完全新作で『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』を公開し話題を集めていた。こうした流れの中で、若手を中心とした制作スタジオ・ガイナックスが設立され、バンダイのスポンサードでいきなり映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を制作するという出来事も起きた。同作は1987年に公開されている。

 当時の状況を内田健二プロデューサー(当時)は次のように回想する。

「『ガンダム』は道を開いてくれたけど、もう自分たちは自分たちのアニメを作ります」っていう時代だったんです。そういうこともあって、じゃあどういうスタッフなら『逆襲のシャア』を作れるのかというのは考えなくてはいけない問題でしたね。

 ある種の過渡期に公開された『逆襲のシャア』だが、現時点から振り返ってみれば本作が、富野の代表作であることは疑いようがない。『機動戦士ガンダム』までに完成した演出家としてのスタイルは、本作でもブレることなく駆使されている。一方で『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』を経た上での、戯作者としてのこだわりもちゃんと貫かれている。2時間で完結する映画という点も含めて「これが富野由悠季だ」と挙げるにふさわしい一作といえる。

 では本作がどのような点で富野の代表作と呼ぶにふさわしいのか順番に見ていこう。まず注目したいのは、演出の語り口だ。