「弱い軍隊を有するのは危険であるし、それは悪いことであるといえます」
だが、完成した試作小銃はおよそ実用性に欠けるものだった。
後に教団の銃を押収した警察の科学警察研究所は、銃の発射能力を証明するためにAK74の弾を4ミリほど削り、カバーを外して中のバネを取り出した上で弾を押し込み、バネやカバーを装着し直す手順を踏んでいる。(江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記1』文藝春秋)
この方法を取れば発射できるということで法的には「発射能力がある銃を密造した」という証拠にしたのだが、実際には自動小銃としては使い物にならないものだったのだ。
現在でもネット上では、「いきなり難度の高い自動小銃ではなく、もっと簡易な設備や工程で製造できる銃なら成功したのではないか」という意見が散見される。しかし、麻原は軍隊にこだわりを持っていた節があり、それが窺える説法をしている。
わたしは軍国主義を悪いとはいわない。なぜならば、戦うときは戦わなければならないからだ。しかし、弱い軍隊を有するのは危険であるし、それは悪いことであるといえます。なぜかというと、もし弱い軍隊で強い軍隊と戦った場合、それは、その軍隊だけが滅びるのではなく、国家そのものが滅びてしまうからである。
松本智津夫 1993年4月8日 広島支部での説法
(江川紹子『「オウム真理教」追跡 2200 日』文藝春秋)
麻原はそもそも「神軍を率いる」啓示を若き日に受けたと主張しており、銃に関しても現用の軍用レベルのものを欲していたのかもしれない。自動小銃の密造計画はそれ故の高望みだったのか。
また、アジアの銃器密造村の職人たちが見事なAKを完成させることを引き合いに出して、教団がまともな銃を完成させられなかったことを馬鹿にする声もある。しかし、アジアの銃器密造村のほとんどは銃身などはメーカーに外注しており、村で職人が行うのは組立作業のみというケースが多い。すべてを内製しようとした教団の野望はさらに巨大なものだったと言える。
全く銃器に知見のなかった集団が、実質2年で形だけでも自動小銃を作り上げたことをどう評価するかで、教団の密造銃計画への評価も分かれると考えられる。
結局、1995年3月22日の強制捜査によって、教団の命脈は絶たれた。「自動小銃密造計画」も、実用化も量産もされることなく潰えている。この未完に終わった密造銃計画は、教団の野望と限界を示す象徴的な計画だったと言えるかもしれない。
