1995年3月20日に地下鉄サリン事件が発生して今年で30年。オウム真理教の拠点の跡地には一連の事件の犠牲者を悼む慰霊碑が建立されている。オウム真理教の事件が私たちに突きつけるものとは、いったい何か――。(全4回の4回目/♯1、♯2、♯3を読む)
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凶悪事件にまで手を染めていたのに、ほとんど野放し
地下鉄サリン事件は松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件と並びオウム真理教が起こした3大重大事件の一つとして数えられている。オウムはその行くところ、現れるところ、日本全国で地域住民とのトラブルから殺人、武器・麻薬密造など、両手で数えきれないほどの凶悪事件にまで手を染めていたのにもかかわらず、ほとんど野放し状態だったのである。
オウム真理教に当初から疑惑を感じ、実際に批判的な報道を行っていたのは、ジャーナリストの江川紹子氏を筆頭に、牧太郎編集長率いる『サンデー毎日』、『週刊文春』と『フォーカス』などだけで、新聞、テレビは私でも一目見てわかるオウムの怪しさと危険性を見て見ぬふりをつづけていた。それどころか、6年後の地下鉄サリン事件以降もとんでもない過ちを犯してきた。
脅しに屈し、批判した坂本弁護士のインタビュー放送をやめたTBS
例えばTBSはオウム真理教を批判した坂本弁護士のインタビュービデオを上祐史浩、早川紀代秀、オウム真理教の顧問弁護士であり信者の青山吉伸に放送前にもかかわらず見せたばかりか、上祐らの脅しに屈し放送をやめたのである。その事実を坂本弁護士に伝えることなく、その結果、坂本弁護士一家は殺害された。さらにTBSは6年以上もその事実を隠蔽し続けたのである。
取り返しのつかぬ間違いを犯したのはTBSだけではない。松本サリン事件発生直後には夫人がサリンを浴び14年間も意識不明のまま亡くなったばかりか、自身も被害者だった河野義行さんを長野県警やメディアは当初犯人扱いしたのである。
オウム真理教の犯罪のなかでも死者13人、6300人以上の負傷者を出した「地下鉄サリン事件」はもっとも卑劣で凶悪な事件である。その実行犯らもオウム真理教附属病院の医師で、逮捕後、犯行をいち早く自供し、事件解明に協力したとして無期懲役に減刑された林郁夫受刑者以外、主犯の麻原彰晃含め全員がすでに刑場の露と消えた。
信者にほんのささやかな勇気があれば、こんな凶悪な事件に関わることがなかったはずである。死ぬ気で逃亡し、警察に駆け込み、オウム真理教は恐ろしい事件を企んでいると伝えた信者はいなかった。犯行に気づきながらオウム真理教を弁護しつづけた上祐はじめ、犯行発覚後も麻原を崇め続けた信者も加害者と同じである。