事件後30年、今も暗躍し続ける怪しげな団体
事件後30年、もはやオウム事件を知らぬ若い世代はオウム真理教から名を変えたヨガサークルに、知ってか知らずか参加していると聞く。サリン事件後も宗教の名を借りた怪しげな団体は今も破壊活動防止法の網もかけられず、暗躍し続けている。
今、私がオウム真理教と初めて対峙した富士宮市のオウム真理教富士宮総本部跡地は日本盲導犬協会の盲導犬訓練センターとなっている。
富士の裾野で盲導犬がのびのびと育成されているのは以前に『週刊文春』でも紹介したが、それは目の不自由だった麻原とは何の関係もない。また当時の山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)には麻原が逮捕された第6サティアンやサリンが製造されていた第7サティアン跡地は富士ケ嶺公園となり、周囲では霊峰富士を背景にのんびり乳牛が草を食んでいる。そこには、自白剤の過剰投与で殺された目黒公証役場の仮谷さんや集団リンチで殺された信者のためか、それとも松本市や東京の地下鉄でサリンを浴び、もがき苦しみながら亡くなった20人以上もの無辜の市民を供養するためか碑銘も建造主名もない慰霊碑が建つ。
20日には東京メトロの霞ケ関駅などでは慰霊祭が営まれ多くの人々が手を合わせるはずであるが、ここを訪ねる人は少ない。
歴史から何も学ばない人類は再び過ちを繰り返す
歴史は繰り返し、歴史から何も学ばない人類は再びそんな過ちを繰り返す時が来よう。残り少なくなったカメラマン人生だがその時が来るや、蟷螂の斧と承知で立ち向かっていきたい。
今年は阪神・淡路大震災から30年、つい先日も東日本大震災から14年目を迎えたばかり、風化させてはならぬ大災害、大事故、大事件が多すぎる。我々がカメラを置ける日はまだまだ来ない。
写真=宮嶋茂樹
