他のマイノリティも抹消の対象となる危険性
トランスジェンダーのトイレやスポーツの問題は、アメリカでも議論が続いている。しかし社会がトイレやスポーツの運用法を論じるのと、政府がトランスジェンダーの存在自体を認めないとするのは全く別の問題だ。
性的少数派に限らず、どのカテゴリーであれ政府が公式にマイノリティの抹消を認めれば、今後、人種/民族/宗教マイノリティや障害者も含め、他のマイノリティも抹消の対象となっていくだろう。白人女児/女性にのみ囲まれたトランプの姿はその予兆だろう。
まずは存在を知らなくてはならない
もし、カルラのあの差別ツイート群がなければ、カルラと『エミリア・ペレス』はアカデミー賞を含む多くの賞を獲得していたのではないだろうか。メディアでフィーチャーされ、世界中の多くの人が映画を観て、トランスジェンダーの存在を新たに認識する契機となったはずだった。
劇中、マニタスが男として生きざるを得なかった苦悩を、リタと医師が性別適合手術の是非を、エミリアが過去と現在で異なる自分を、ジェシーが夫マニタスの真実の姿を知らされなかったがゆえの苦しみを歌うシーンがある。『エミリア・ペレス』を多くの人が見るべき理由は、対象が何であれ、まずは存在を知らなくてはならない、ということだ。
一見の価値がある理由
いずれにせよ、『エミリア・ペレス』は13賞にノミネートされていながら結果は2賞(助演女優賞、主題歌賞)のみの受賞に終わった。
しかし、助演女優賞を勝ち取ったゾーイ・サルダナはこの役で大絶賛され、アカデミー賞だけでなく、ゴールデングローブ賞、カンヌ映画祭を含む10以上の映画賞/映画祭でも賞を勝ち取っている。ゾーイは『アバター』シリーズのネイティリ役、マーベル『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのガモーラ役などSF映画で知られるが、今作では社会正義を捨て、金とスリルに絡め取られる弁護士リタ役を熱演している。
もう1人のメイン・キャラクター、ジェシーを演じるセレーナ・ゴメスも、演技と歌、ダンスで大いに奮闘しており、見逃せない。
主演のカルラは自身が性的少数派でありながら、人種/民族や宗教の少数派に対する差別主義者であることが露見した。どの属性にも、どの少数派にも差別主義者は存在する。これは属性ではなく、個人の資質や思考の問題だ。『エミリア・ペレス』は「アーティストと作品は別」と割り切っての、一見の価値が大いにある作品と言える。

