「競争の空白地帯」

 台湾は何をやれば食っていけるのか、モリスは冷静に評価した。技術力はあるか?――ノー。ITRIは米RCAから半導体技術を学んだが、RCAは半導体企業としてはすでに二流。モリスが来た時にはすでに、インテルなど米国の最先端から3世代近く遅れていた。

 売る力はあるか?――ノー。当時の台湾産業界は安い労働力が強みであり、自力で先進国市場を開拓できるブランドも人脈もなかった。

 かろうじて評価できたのは、半導体の試作ラインでの歩留まり率の高さだ。この唯一の強みを基にモリスは、半導体の受託製造だけを手がける企業を政府に提案した。ファウンドリーである。

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 ファウンドリーの概念は、著名コンピューター科学者のカーバー・ミードが70年代後半の著書で提唱している。ただミードも他の誰も、ファウンドリー専業の企業など想定していなかった中、モリスだけがリアルな可能性を見出していた。

TSMCはオーダーメイドで半導体を製造する「ファウンドリー」の世界最大手 ©時事通信社

 TI(テキサス・インスツルメンツ)時代、優秀な半導体設計者が会社を辞めて起業する姿を何度も見た。そして彼らの多くが、「半導体を設計できても、それを作る工場には金がかかる」という現実を前に挫折していた。半導体製造をサービスとして提供する商売には需要があると、モリスは直感した。何より当時の台湾にはその選択肢しか見当たらず、他の国・企業はどこもやりそうにもない「競争の空白地帯」だった。

 問題は資金と技術である。李ら後ろ盾となるテクノクラートは、新会社に50%まで出資することを確約したが、残りは民間から調達するよう求めた。TI、インテル、IBM、モトローラ、ソニー、東芝……モリスは米国時代の人脈を駆使し、外資に出資と技術提携を打診した。だがどこも返事は「興味なし」。関心を示したのは、オランダのフィリップス1社だけだった。

 資本金は1.45億ドルで、大口株主は台湾の政府ファンド・行政院国家発展基金(出資比率48.3%)、フィリップス(同27.6%)、残りは台湾の民間企業9社が出資。1987年2月、TSMCは設立された。

※本記事の全文(約1万1000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年4月号に掲載されています(杉本りうこ「TSMC創業者 モリス・チャンの逆風人生」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
「アジアの孤児」台湾へ
「競争の空白地帯」
IBMには頼らない
「盛田昭夫はレジェンダリー」
モリスは日本をどう見たか
蔡英文前総統との抱擁
「政府が作った」は真実か

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