状況を理解するためには、「座頭金」とはなにかを明らかにすることだろう。
座頭金とは、盲人による無担保の消費者金融のことで、江戸時代の高利貸しの代表が座頭金だった。その年利は6割が平均とされ、なかには10割などというべらぼうなケースもあった。盲人が高利貸しに勤しむことができたのは、幕府から手厚い保護を受けていたからだった。
目が見えないために、職業といえば三味線や箏(こと)、琵琶などの演奏のほか、按摩(あんま)や鍼灸程度しかなかった盲人に、高利で金を貸して利殖することを幕府は認めたのである。このため盲人たちは、三味線弾きや按摩などで一定程度稼いだのちに、高利貸しに転身するケースが多かった。そのほうが容易に、いや、安易に利殖ができたからなのは、いうまでもない。
幕臣や大名までも苦しめた
「座頭」とは、盲人にあたえられていた官位の一つを指す。盲人の官位には大きく分けて、上から検校、別当、勾当、座頭の4つがあり、座頭は最下位だった。まず驚くのが、これらの官位は公家の久我家(こがけ)が取りあつかっていたということだ。すなわち、盲人たちは朝廷および公家から官位をいただいていたのである。
では、なぜ「検校金」や「別当金」ではなく「座頭金」だったのか。剃髪して三味線などを弾いて歌を歌い、金貸しなどに勤しんだ者を総称するのにも「座頭」という語を使ったため、盲人による高利貸しも総じて「座頭金」と呼ばれたというわけだ。
ところで、検校、別当、勾当、座頭の4官は金で買うことができた。盲人たちは稼いだ金を、官位を買うために注ぎ込んだが、昇進すると多額の配当が得られたので、十分に元が取れた。そのうえで余剰金を、高利でどんどん貸し付けた。しかも、この貸付金は官金あつかいで、ほかの債務に対する取り立ての優先権が保証されていた。
つまり、貸し付けた金額を取り立てやすく、貸す側にとって安全で確実な金融だと評価されており、このため、金に余裕がある個人も積極的に座頭金に投資。それを元手に、盲人たちはさらなる貸し付けを行った。その結果、盲人による過酷な取り立てが、庶民ばかりか財政的に困窮した幕臣や大名までも苦しめることになった。