自分の人生が充足していないから子どもに行く

五味 自分の人生を大事にすると子どもの人生も大事にするよね。自分が侵されたくなければひとを侵さないよね。これ、人権問題の基礎だよね。だから図式は簡単で、「やらせてあげられない」っていうのも、「それ、下品ね」って感じがしちゃうな、どうしてもね。

おおた 何が品があって、何が下品なのかって、うかがっていいですか?

©文藝春秋

五味 これはもう大事な話だよね。「品」って難しい言葉で。工業デザイナーの先輩から聞いた話だけど、「品」って四角を3つ書くよな。2個の上に1個を置くっていうのがいちばん安定している形なんだって。2個の上に2個を置くと「田」になっちゃうんだけど、これはちょっと窮屈じゃないですか。ちょっと余裕があって安定しているのが「品」。ただ一方で、「品」のままいったら「動き」が出ない。3つを縦に詰んでみる、で、崩れる。というのもちょっと面白いんだよね。だから「下品」にも面白さはあるんだよ。

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おおた なるほど。

五味 そうしないと、面白さがわかんないじゃない。バカなやつが子どもたちに「いい本を読みなさい」と言うんだけど、いろいろ読まないとどれがいい本かわかんないよなぁ。いろんな本を読んだら面白いよってだけだよ。上品だというものばかりを見ている下品さというのもあるからさ。その「動き」がすべて体験だよね。海外旅行に行くのが体験じゃないよね。

おおた そこなんです。お金を出して何かが得られることを「体験」といってしまうことで、子どもから体験がどんどん奪われて、ほかの何かに置き換わっていく怖さがあります。

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五味 いまの生活は貧しい。生活がどんどん単一化しているよね。俺、長野に家があって、長野のひとたちと遊んでいて面白いのは、彼らは忙しくいろんな副業をしているんだよね。そこいくと都会では忙しそうに見えてみんなスマホいじってるでしょ。退屈しのぎだよ。長野行くとそんなの少ないよ。だから根本的に、大人がひまなんじゃないかな。自分の人生が充足していないから子どもに行くんだよね。ひまなやつの子どもは気の毒だよ。黙ってても体験はするけど、体験がいっぱいできる生活のパターンが大事だよね。学校行って、帰ってきて宿題やって、塾行って、ごはん食べて、寝てって、すごい少ないよね。俺なんかよく、学校行こうかなと思って、その先に魅力的なものがあるからって学校を通過してたよ。そういう体験みたいなものをどんどん禁止する世の中だよね。不自由にさせといて「自由にやれ」みたいな。