この習慣は次第に男性のあいだにも広がり、戦国時代には成人の儀式として定着したようだ。ということは、一昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の登場人物も、史実においては名立たる武将までが、お歯黒だった可能性がある。
だが、太平の世が終わると、天皇や公家を除いて男性がお歯黒をすることはなくなり、一般のあいだには、女性の化粧習慣として残ったのである。
ところでお歯黒は、大きく分けて2つもので構成されていた。ひとつは五倍子(ふし)粉。これはウルシ科のヌルデという木にできる虫こぶを粉にしたもので、タンニンが主成分だった。もうひとつはお歯黒水。酢、米のとぎ汁、酒、茶汁などからなる液体(酢酸)に針や釘などを入れた、つまり鉄を溶かした茶褐色の溶液で、鉄漿水(かねみず)とも呼ばれた。
お歯黒水を沸かし、それに五倍子粉を混ぜたものを、楊枝で歯に塗っていたようだ。2つの成分が化学反応によってタンニン酸第二鉄に変化し、歯のエナメル質に染みこんで、黒く染まったという。
予防歯科としての役割
こんなものを歯に塗るなんて体に悪かったのではないか、と想像してしまうが、むしろ逆だったようだ。
タンニンには歯や歯肉のたんぱく質を引き締め、細菌から守る作用があるという。また、お歯黒水の主成分の第一鉄イオンは、エナメル質の主体であるハイドロキシ・アパタイトの耐酸性を向上させるという。また、エナメル質に染みこむ前述のタンニン酸第二鉄にも、歯の表面を覆って細菌が入るのを防ぐ効果があるという。
さらにいえば、歯垢をよく除いてからでないとお歯黒は染まりにくかったので、女性たちはみな楊枝で歯垢を丹念に除去していて、そのことも虫歯予防に効果的だったそうだ。
幕末から明治期に来日した欧米人は、お歯黒に染めた女性を見て女性差別だと明治政府を批判したため、政府は華族を対象にお歯黒禁止令を出している。しかし、現実には、お歯黒の風習は差別とは無関係の、日本の美意識にもとづくものだった。そればかりか、欧米人がまだ気づいてもいない予防歯科を、日本人はお歯黒を通じて実践していたのである。