もう一つは、大文字屋(伊藤淳史)が神田に屋敷を買うべく、手付金まで払ったのに、取引が一方的に取り消され、それを奉行所に訴え出ると藪蛇(やぶへび)なことに、吉原の人たちは「四民の外」、すなわち士農工商の下だと判定されてしまったこと。これから本屋として羽ばたこうとしている蔦重にとって、吉原の代名詞のような自分が足かせになってはいけないと考えたのだった。

別れの手紙をしたためながらあふれ出る瀬川の涙に、涙を誘われた視聴者も多いのではないだろうか。

ここまで小芝風花の迫真の演技で、強い存在感を放ってきた瀬川。吉原という場所をさまざまに象徴するように描かれてきた彼女の登場がここまでかと思うと、瀬川ロスに陥りそうな気にさえさせられる。

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ただ、ここまで「べらぼう」で描写されてきた瀬川像には、ひとつだけ大きく史実と異なる点があった。

史実のとおりに描写すべきとは思わないが

それは「お歯黒」によって、歯を黒く染めていなかった点である。

最初に断っておくと、私は史実のとおりに描写すべきだったといっているのではない。むしろ、白い歯のままでよかったと思っている。小芝風花の瀬川がどんなに凛とした姿を見せても、どんなに健気な表情を見せても、口元から覗く歯が真っ黒だったら、げんなりする視聴者が多かったのではないだろうか。私自身、そうだったと思う。

お歯黒が現代人の美意識に著しく反する以上、その点で史実にこだわり、視聴者のドラマへの集中力を削ぐようなことをする必要はない。とはいえ、本当はどんな姿だったのか、だれがどんな理由でお歯黒にしていたのか、知っても損はないと思う。

東西約327メートル、南北約245メートルの長方形の町だった吉原は、城郭のように堀で囲まれて女郎たちの逃亡を防いでおり、その堀は「お歯黒どぶ」と呼ばれていた。女郎たちが使ったお歯黒の汁をここに捨てたからとも、水がお歯黒のように黒ずんでいたからともいわれるが、いずれにせよ、吉原がお歯黒と縁が深い場所だったことを暗示している。