モラルハザードはすでに始まっている

編 話を聞いていると、今までの価値観が崩壊しそうです。

文 “モラルハザード”はすでに始まっていますよ。まあ、そもそも論証的な数学なんて、2500年くらいの歴史しかもっていませんから。トロイア戦争よりも後と考えると、わりと新しく感じますよね。古代ギリシャ人たちが証明による論証数学をローカルに始めたのが、「意外といいじゃん!」みたいな形でウケてしまって全世界に広がり、様々な紆余曲折はあったけれども2500年間も栄えた。

 その数学が現在、転換点に立っているというだけの話です。3000年後の人間が振り返ると、「今の数学って、第二次世界大戦とか、あの頃にできたらしいよ」「えっ、そんな新しいものだったの?」みたいな話をするかもしれません。

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 というか、今までの数学の正しさについても、「たまたま正しかっただけなんじゃない?」と、私は思うんです。

編 数学のスパッとした正しさに魅力を感じるのに、「たまたまですよ」と言われては、なんかモヤッとします。頭を捻りながら頑張って正解に辿り着いたのに、「いや、あなたの出した答えは正しいんだけど、それは一時的なものなんですよ」と言われたら、誰だってブチ切れると思いますけど?

来るべき数学の汚さの時代に向けて

文 うん、この話はあんまりウケがよくないんですよね。例えば三平方の定理は、それによってひとつの幾何が成り立ってしまうというほど正しい定理です。でも、そうした「決定論的正しさ」はすごく例外的なのではないかと思っていて。私たちは例外的で珍しいものを見たときに美しさを感じるわけですから。つまり、ほとんどの数学は、そんなに美しいものではない。

編 がーん! ここまで数学の神秘性や美しさについてさんざん話をしてきたのに、最後にこの仕打ちですか。

文 甘いですね……世の中っていうのはもっと汚いものなんだよ……。まあ、だからといって、「一意的な答えが出る」という意味での数学が損なわれるわけではありません。たまたまであったとしても、正しさというものの崇高さは崩れない。そうした価値の、数学全体のなかでの位置づけが変わるだけです。

 我々は来たるべき数学の汚さの時代に向けて、気持ちを準備しておくべきです。「数学って実は汚かったんだ。でもそのなかには、美しいものもあるんだ」くらいに思っておくのがいいかもしれません。

数の進化論 (文春新書 1486)

加藤 文元

文藝春秋

2025年4月18日 発売

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