「なんで数学をしなきゃいけないんだろう」「数学をやってなんのためになるんだろう」と怒りにも似た問いをかけるド文系編集者に、数学者はどう答えるのでしょうか。
ここでは、『数の進化論』(文春新書)から一部を抜粋。「チャート式」の監修や『数学の世界史』など多数の著書で数学の魅力を広め続ける“ブンゲン先生”こと加藤文元氏(ZEN大学教授、東京工業大学(現・東京科学大学)名誉教授)が解説します。(全3回の1回目/続きを読む)
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編集者(以下、編) フランスの貴族は80をquatre-vingts(4×20)と呼び、「庶民にはどうせ数えられないんでしょ」と笑っていたということでしたよね。数学が高尚なものとされて、庶民にまでなかなかおりてこなかった歴史は、意外と私の数学嫌いに通じていたんじゃないかと思います。「なんか難しい顔した人たちが難しそうなことやってんなー」みたいな。
加藤文元(以下、文) 数学の楽しさに目を向けてもらえなかったことは残念です。でも、そろそろ面白さを感じはじめていますよね?
ピタゴラス学派の「彼岸信仰」
編 はい! ちなみに、数学が神秘化されていた時代の話をもうちょっと聞いてみたいのですが、象徴的なエピソードはありますか?
文 だったら古代ギリシャの数学者、ピタゴラスの話をしましょう。ピタゴラスの定理はあまりにも有名だから、名前はご存知ですよね。ピタゴラス(前570頃~前496頃)は現在のトルコに近いエーゲ海南東部に位置するサモス島に生まれました。ところが、僭主と折り合いが悪くなり、南イタリアのクロトンという土地へと逃げるんですね。そこで地元の人たちと一緒に、ピタゴラス学派という宗教秘密結社を立ち上げました。どんな宗教だったかというと、要するに「彼岸信仰」です。この世ではない“あちら側の世界”に憧れるという信仰は、浄土真宗における極楽浄土のように洋の東西を問わず昔から存在していましたが、ピタゴラスの彼岸信仰を具体的に言い表すと、「あちらの世界とこちらの世界は交信可能である」というものなんです。
編 え、アブナイ人たちのように思えますが……。
