指定難病「巨大動静脈奇形」を患い、19歳で左足を切断した今西柊子さん(26)。現在は義足モデルとして活躍する彼女だが、切断に至るまでの日々は、想像を絶する痛みとの闘いだった。

モデルとして活躍する今西柊子さん ©橋本篤/文藝春秋

「座っていようが、横になっていようが痛い」左足の痛みと闘う日々

 今西さんが最初に足の異変を感じたのは、小学校高学年の頃。バレーボールの練習後に左膝が痛むようになり、中学1年生の時には左足の指の付け根が紫色に変色しているのに気づいた。高校に入ると、症状は急速に悪化する。

「高校1年の途中からは、痛みで左足を動かせないから、松葉杖をつくようになりました。それでも痛みに耐えられなくなって、高2の途中からは車椅子で登校していました」

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 痛みは日に日に強くなり、日常生活にも大きな支障をきたすようになった。

「もう、ずっと痛いんです。座っていようが、横になっていようが痛い。毎晩痛みでなかなか寝られなくて、気を失うように寝て、そして翌朝は痛みで目が覚める」

「皮膚がめくれて、赤黒い肉がむき出しに…」

 次第に、左足の一部が“壊死”しているような状態になった。

「皮膚がめくれて、赤黒い肉がむき出しになっているんです。もともと、あざを隠すように塗り薬を塗って、ガーゼをして、その上から包帯を巻いて毎日過ごしていました。それが、ガーゼが患部に触れることすら激痛になってきて……」

 痛みと闘いながら高校に通い続けたのは、友人と話すことで少しだけ痛みを忘れられたからだという。しかし、趣味を楽しむことも、修学旅行に行くことも、専門学校への進学も、すべて諦めなければならなかった。

「痛みで諦めなければいけないことばかりだから、気持ちもどんどん暗くなっていって……。高校時代は、身体も心も足の痛みに振り回されてました」

©橋本篤/文藝春秋

左足の切断を決意した理由

 高校卒業後、本格的な治療を開始。しかし、血管を焼く手術や足指の部分切断を行っても、痛みは一向に改善しなかった。そして最終的に、医師から「足首から切るか、膝上から切るか」という選択肢を提示された。

 今西さんは3ヶ月の熟考の末、膝上からの切断を決意。その理由をこう語る。

「膝にも血管の塊がある以上、いつかはそこも痛み始めて、壊死してしまうかもしれなかった。だったら、一気に膝上まで切断して、不安の種は完全に取り除いた方がいいんだろうな、と思いました」

「足を切断したことも、義足にしたことも、まったく後悔していません」

 その後リハビリに励み、半年後には歩けるようになった。現在は義足モデルとして活躍し、東京パラリンピック開会式のオープニングムービーにも登場するなど、大きな注目を集めている。

 壮絶な闘病生活を経て、今西さんは自身の経験をこう締めくくった。

「足を切断したことも、義足にしたことも、まったく後悔していません。それでも、うまく言葉にはできないのですが、不安になる瞬間はあって。そんなときに、私の選択を肯定してくれるような声を聞けることは、すごく心強いんです」

©橋本篤/文藝春秋

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 このインタビューの全文は、以下のリンクからお読みいただけます。

撮影=橋本篤/文藝春秋
取材協力=ココダイバーシティ・エンターテイメント(https://coco-de7.com/