1956(昭和31)年、兄の芥川賞受賞作が原作の映画「太陽の季節」でデビューした俳優の石原裕次郎(1934〜1987)。北原三枝の芸名で活躍し、「狂った果実」などで共演した、まき子夫人(1933〜)と昭和35年に結婚。「永遠のタフガイ」として映画やテレビ、歌手としても活躍したが昭和62年にがんで死去。直後に刊行された緊急増刊「さよなら石原裕次郎」へ、まき子夫人が独占手記を寄せた。(全2回の1回目/後編に続く)
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息をひきとるまで、死ぬわけがないと…
私は、最後まで、石原が亡くなるとは思っていませんでした。息をひきとるまで、死ぬわけがないと思っていたのです。
石原という人は、負けるものは何もなかったのです。ところが、病気にだけは負けてしまいました。それがくやしくてなりません。本当にくやしいのです。
私が石原と初めて出会ったのは、「太陽の季節」の撮影中でした。
当時、私は、新藤兼人監督の「流離の岸」で、山口県へロケーションに行っておりました。太田洋子さんの原作で、私の好きな作品です。で、撮影所に帰ってきましたら、水の江滝子さんが、芥川賞をとった石原慎太郎の弟で、「太陽の季節」に出ている面白い子がいるから、「マコちゃん、ちょっと会ってみてよ」とおっしゃるのです。
ちょうど、「太陽の季節」のセット撮影中でしたので、お昼少し前ぐらいに、セットスタジオまで水の江さんに連れていかれたんです。スタジオには2階のテラスみたいなところがありまして、そこから、岡田真澄さんと石原が、北原三枝が来たからっていうので、覗いていたんですね。ですから彼の一番最初の印象は、セットスタジオからこっちを眺めている若い男の子という感じでした。二人とも真っ白い背広を着ていました。
水の江さんが、「裕ちゃん、裕ちゃん、この人は北原三枝さん。もしかしたら何かで一緒に仕事をするかもしれないから宜しくね」と紹介してくださったので、「はじめまして、石原裕次郎です」「北原です」っていって、それが初対面でした。



