1956(昭和31)年、兄の芥川賞受賞作が原作の映画「太陽の季節」でデビューした俳優の石原裕次郎(1934〜1987)。北原三枝の芸名で活躍し、「狂った果実」などで共演した、まき子夫人(1933〜)と昭和35年に結婚。「永遠のタフガイ」として映画やテレビ、歌手としても活躍したが昭和62年にがんで死去。直後に刊行された緊急増刊「さよなら石原裕次郎」へ、まき子夫人が独占手記を寄せた。(全2回の2回目/前編から続く

渡哲也氏(右)らに付き添われて記者会見する石原裕次郎氏(中央) 1981(昭和56)年8月30日、東京・信濃町の慶応病院 ©共同通信社

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「よくぞ騙して下さいました」

「良性潰瘍」ということは、3年前に知らされておりました。奇しくも、小林専務から、私が宣告を受けたのが、3年前(84年)の7月17日なんです。で、丸3年後の7月17日に亡くなりました。これが不思議でしようがないんですね。

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 小林専務たちは、もっと以前から、知らされていたらしいんですけれども、それで、大変、苦労なさったようです。

 石原は、非常に感性が鋭いところがあるから、必ず自分たちの行動とか言動で感じとってしまうだろう、いままで、動脈瘤の治療に専念していたのが、また違う動きになると、当然、分ってしまう。これだけでも十分に注意が必要なのに、私に知らせると、私を通じて、石原が知ってしまう、どんなに私に、「あなた女優でしょう、芝居して下さい」と言っても、あの人はダメだと。ですから、まず奥さんを騙そう、ということになったようですね。

石原裕次郎氏 ©文藝春秋

 それで、最初から「悪性」と宣告されていたのに、私には「良性です。治療によって治るんですよ。だから頑張りましょう」と言ってくれていたのです。

 お通夜の晩に、お客様がお帰りになったあと、そういう人たちが、嗚咽しだしたのです。もちろん石原が亡くなったことで、みなさん……、と思っていましたら、「奥さん、ごめんなさい。奥さんを騙していたことがたまらなかった」って、おっしゃるんです。だから、「とんでもありません」って、「よくぞ私をきょうまで騙して下さいました」ってお礼を申し上げました。