もし、あの時に、私が皆さんと一緒に同じことを知っていたら、半狂乱になって、まず石原の看病が出来なかったでしょう。と同時に石原に知れてしまうでしょう。すると病院にも迷惑をかけますし、他の人々にも知られてしまうでしょう。だから、私は、「本当に、ありがとうございます」って申し上げたのです。本当によく助けて下さいました。

 井上教授、都築助教授をはじめ、慶応病院の皆様方、看護婦さんたちも本当によくして下さいました。医学の粋をつくして、これ以上の治療がないというくらいよくやって下さったのです。それでも結局石原は助かりませんでした。悪性腫瘍というものがどんなに怖いものか、改めて知りました。

たった一つの形見

『太陽にほえろ!』で藤堂俊介=ボスを演じた石原裕次郎氏(左) ©文藝春秋

 いま、残念に思うのは、密葬のとき、まったく余裕がなくて、遺髪を切って残すことができなかったことです。ただ、40代の頃でしたか、白髪があったよと言って床屋さんから、白髪を持って帰ったことがあります。私は、それを紙入れに入れて大切にとっておいたのですが、それがいま、主人のたった一つの形見となりました。

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 それなのに、しばらくは、遺品を見ることにさえ怖(おそろ)しさを感じました。祭壇にある写真を見ることも出来なかったのです。

 でも、今は涙を流す暇もありません。石原裕次郎の家内として、けじめはきちんとつけたいと思っています。本葬までは、頑張っていかなければならないのです。

 そのあとで、私たちを助けて下さった人たちと、ゆっくり泣きましょうって話しているんです。それでも私は、できることなら、石原と会いたい。本当に、もう一度、会いたいんです。

◆このコラムは、いまなお輝き続ける「時代の顔」に迫った『昭和100年の100人 スタア篇』に掲載されています。

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