すぐ昼食になりましたので、スタジオからみんなで一緒に出たんですが、テレているのでしょうか、どんどん、どんどん先へサッ、サッ、サッと行ってしまうんですね。その後ろ姿が、私にはとても印象的でした。紹介された時より、どんどん先に歩いて行ってしまう背の高いスマートな後ろ姿、それがとても印象に残ったのです。
「いいよ裕ちゃん、自分のいいようにやってごらん」
それから「狂った果実」で共演しました。その撮影中のことです。最初は確かに台本通りセリフを言っていたんですけど、途中から、「とっても言えない」「こういう言葉じゃない」って言うんです。「ぼくたちの世界のこういう若者は、こんなことは言わない」といって譲らなくなってしまったので、とてもびっくりしました。
そこで、「石原さん、違うんですよ。こういう台本というものがあって、監督さんのおっしゃる通りに演技することが映画というものなんですからね。ちゃんと台本通りものを言わなければダメなんですよ」と言うと、その時は、「そうですか」と納得するんですけれども、芝居を始めるとどうしてもダメなんです。
その時、私、中平康さんという監督は大変立派な方だったと思いますけど、「いいよ裕ちゃん、自分のいいようにやってごらん」っておっしゃったんです。
監督も、ちゃんと台本通りにセリフをしゃべらなければいけないという、いわゆる映画俳優の演技を、石原に押しつけてはダメだということが分ったようなんです。それで自由に飛び回らせたことが、あの映画の面白くなった理由だと思うんですよ。
中平さんもそうですが、石原を一つの型、既成の演技に嵌め込んではダメだっていうことを早くから分って下さったのは田坂具隆(ともたか)さんです。「陽のあたる坂道」は、私の大好きな作品ですけれども、あれこそ石原裕次郎なんですね。あの役、あの演技で、あの映画は成功したんだと思います。それと、もう一つ、「若い川の流れ」という映画があるんです。これは、やはり田坂先生でしたけれども、石原も大変好きでしたし、私も好き、二人共通で好きな作品だったんです。



