ヨットを介して無言の競争

 私と弟との思い出の、非常に大きな媒体となるのは、やはりヨットです。

 私たちが中学生の頃、父が、当時のお金で3、4万円もしたディンギーのヨットを買ってくれました。それがヨット屋さんの手で、金沢八景の峠を越えてうちにお嫁入りした時は、弟と二人で、本当に茫然とするくらいの幸福を味わったものです。

 弟は要領がよく、私より先にセイリングがうまくなって、いつも華やかに女の子を乗せて走っていました。私は弟のように華やかなことは出来ないから、当時としては気の遠くなるようなクルージング、長者ヶ崎の先の佐島まで行ってあの北限地の海浜に咲いているハマユウを一輪採ってきて、

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「ほら俺は、あそこまで行ってきたぞ」

 と、弟に対して、ひけを取らない実績を一つ作ったことを示す、そんな無言の競争をしたものです。

石原慎太郎氏(左)と裕次郎氏 ©︎文藝春秋

 ところが、ヨットもだんだん馴れてくると、有難味は薄れてくるし、他の遊びにも忙しいから、船の世話も怠るようになってきました。

 台風で雨が沢山降った時のことです。小さな船だから雨が入ると繋がれたまますぐ沈んでしまう。通勤の途中、父がバスストップから船を繋いである川を見ると、ほかの船はちゃんと浮いているのに、うちの船だけが沈んでいる。帰宅した父に怒鳴られて、真っ暗になってから二人で水の掻き出しに行ったことがありました。

 父が死んでからですけど、私が関西へサッカーの試合に行き、弟も女友達と軽井沢かどこかへ遊びに行っている時、台風が来て、川が増水し船が流されてしまったことがあります。帰って来てそれを知り、二人で真っ青になって、あわてて漁船を雇って捜しに行ったら、鎌倉の沖で錨をひきずったまま逆さまになって浮いていました。船に謝りながら連れて帰ってきましたが、「お前が悪い」「いや、お前の責任だ」と、なすり合いをしたものです。