バカバカしいくらいの大酒飲み

 船には強く、絶対に船酔いはしない男でしたけれど、お酒は実によく飲み、よく酔いました。

 学生の頃は酒を飲むとまず喧嘩、しなくてもいい喧嘩です。そして女。私も、喧嘩はせいぜいつき合うし、女もまあ、つき合わないではないけれど、つき合えないのは最後の泣き上戸です。やはり、いろいろなフラストレーションがあったのでしょう。気持よさそうに、さめざめ泣くのです。晩年はさすがになかったのですが、若い頃は年に一回か二回、私にしきりに詫びながら号泣して酒を飲むことがありました。

 酒の飲み方も、スケールが大きいと言えば褒め言葉になってしまいますが、バカバカしいくらいの大酒飲みでした。父も独身の頃、汽船会社で、人が引き受けたがらない正月の当直を買って出て、贈り物の酒一ダースを、朝から飲みはじめ夜までには全部飲んでしまったという記録のある男でしたが、弟も強さでは父にひけをとらなかったかもしれない。

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 私の留守中にうちに来たりすると、母と女房を前に置いて、台所の板の間に坐って、都々逸(どどいつ)やさのさや小唄をうなったりしながら、一緒に手拍子をとらせて、2時3時まで飲んでいました。私が帰ってくると、

「お前、奥さん置いて、いま頃まで何していた」

 説教しながら、

「まあ一杯飲め」

 と言う。

「何でそんなところで飲むんだ」

 訊くと、

「いや、ここがいいんだ」

 と動かず飲み続ける。

石原裕次郎氏 ©︎文藝春秋

 だから、長門裕之、岡田真澄といった、あの頃、一緒に映画に出ていた仲間は、弟の酒にメロメロになるまでつき合わされたんじゃないでしょうか。みんなそういう悪夢に近い思い出を持っていると思います。だから憎まれたかというと、全くそうではなかった。初七日に来てくれた南田洋子さんが、

「長門は、いまも泣きながらテレビを見ている」

 と言っていました。

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