石原裕次郎は、強い絆で結ばれていた兄で作家の石原慎太郎氏(1932〜2022年)にしか見せない顔があったという。死去の直後に緊急増刊「さよなら石原裕次郎」へ発表された手記では、知られざる「タフガイ」の素顔が明かされている。(全3回の2回目/#3に続く)

1958年の石原裕次郎氏(右)と石原慎太郎氏 文藝春秋

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「俺は歌手じゃない」

 ただ、変に頑固なところもありました。一度厭だと言ったら、絶対に翻(ひるがえ)さない。

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 たとえば、歌手と言われるのは嫌いだったのですが、いつだったか、東北の方の民放が開局して、弟に3曲ワンステージ唄って下さいという依頼があり、ギャラは当時のお金で600万円だといいます。かなりの高額ですが、田舎の局なので弾んだのでしょう。小林専務が取りついで、

「社長、行って下さい」

 と頼んだら、本人は気が向かない。

「厭だ、俺は歌手じゃない」

 という。

 以前にも、借金を返すために行った全国縦断リサイタルがうまくいったので、もう一度ぜひ、という声が出たのですが、

「俺は借金を返すためにやっただけだ。歌手じゃないんだから」

 と断ってしまった。

 そう聞いて弟の歌のファンは不本意かもしれませんが、とにかく俺は歌で食ってるのじゃないから、民放へは行かないという。私が用事で小林専務に会ったら、

「スケジュールは前後もあいているし、裕次郎さんの小遣いも出来るし、こんないい話はないんですから、お兄さん言って下さいよ」

 訴えるので、弟にいうと、

「俺は厭だ。金なんか欲しくない」

「馬鹿だなあ、お前は。お前が行かないんなら俺が行ってやろうか」

「おお、行けよ。お前じゃ相手は6万円も出さねえぞ」

 それはそうです。

 その晩、たまたま二人とも時間があったので、食事して一杯飲もうと、弟の贔屓のピアニストのいるクラブへ行きました。宵の口だから、お客は3、4人。

「おい、唄おうか」

 といい出して、気持よさそうに15、6曲たて続けに歌うんです。もちろん、お客は大喜びですが、たった3、4人のために15、6曲。

「お前、馬鹿じゃないか」

 と言ったら、

「いや、これでいいんだ」

 と笑っていました。