石原裕次郎は、強い絆で結ばれていた兄で作家の石原慎太郎氏(1932〜2022年)にしか見せない顔があったという。死去の直後に緊急増刊「さよなら石原裕次郎」へ発表された手記では、知られざる「タフガイ」の素顔が明かされている。(全3回の3回目/#1から読む)

◆ ◆ ◆

「兄貴、元気でいいなあ」

 私は弟自慢でありませんでしたし、彼の映画を、こんなのは駄目だなどと、よく批評したものです。

ADVERTISEMENT

 しかし弟は、私が新しく出した本に、

「石原裕次郎様 恵存」

 と書いて送るのをいつも楽しみにしていて、すぐ読んで感想を言ってきましたが、面白かったとは言っても、つまらなかったという言い方は一度もしませんでした。

 弟はなかなかうるさいところがありましたから、自分で不本意な本は送らないでいたのですが、すると、

「何か出てるそうじゃないか、送れよ」

 催促するので、やがてはほとんど全冊送ることにしていました。すると、必ずその本を沢山買って、面白いからと人に配っている。

 そういうところは、兄思いというか兄自慢でした。私はあまり弟自慢じゃなくて、死んでしまってから、弟がどんなにみんなに愛されていたかを改めてつくづく知らされました。

渡哲也氏(右)らに付き添われて記者会見する石原裕次郎氏(中央) 1981(昭和56)年8月30日、東京・信濃町の慶応病院 ©︎共同通信社

 死ぬ1カ月ほど前だったと思います。潜りに行って陽に灼(や)けて見舞いに行ったら、

「その顔は何だ。海か」

 とききます。

「海だ」

「ヨットか」

「いや、潜りに行ったんだ」

 そしたら、ふーんと言っていて、しばらくしてからポツンと、

「兄貴、元気でいいなあ」

 と言いました。

 初めて弟に、後めたいような気がしたのを覚えています。