父の仕事がうまくいかない時も、母は泰然自若としていた
父にとって、母の存在は大きかったと思います。父は仕事がうまくいかないような時、しょっちゅうイライラしてる人でしたが、母はそんな時も、泰然自若としておりました。父も、いよいよ困った時は、母に相談していたようです。
戦前、私が結婚して間もないころ、こんなことがございました。めずらしくみんなでそろって食事に出たんですが、梅田の駅前に大道易者がいるのを見て、父がおもしろがって「見てもらおう」ということになりました。易者は父の手を見て、「あなたはお金をたくさん儲けるが、みんな散じてしまいますな」と言うんです。「じゃあ、私は」と母が手を見せると、「いや、この奥さんがついているなら大丈夫です」。みんなで大笑いになりました。
「うどん屋でもやろうか」
父が事業に行き詰まった時、「うどん屋でもやろうか」といったという話、あれは本当なんです。母がよく「あなたはすぐにぜんざい屋をやろうとか、カレー屋をやろうとかおっしゃってましたね」と、父をからかってました。父は仕事が行き詰まったりすると、すぐに「食い物屋でもやって気楽に暮らそうか」なんてことを言い出すんですね。最近、松下興産がビルを買いまして、その一階に小さなカレー屋を開いたんですね。そしたら、母が、「あなた、とうとうカレー屋ができましたね」と――。
家庭的、という言葉からはまったくかけ離れた父でございました。なにしろ99.9パーセントは会社の方を向いておりまして、うっかりすると、孫の名前も覚えてないんじゃないか、ということもありました。



