戦後、岸信介内閣で厚生大臣、文部大臣を歴任した橋本龍伍(りょうご)。その二人の息子が、元総理大臣・橋本龍太郎(1937〜2006)と、元高知県知事・橋本大二郎氏だ。大二郎氏が明かす、数々の兄の後押しとは。

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「そんなもん、消しちまえ!」

 10歳下の弟を怒ることなど滅多になかった兄が珍しく声を荒げたのは、父が亡くなる時だった。

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 私が高校1年生の時だ。父はすでに喉頭癌を患い、手術で声帯も取り、最期の日々を自宅で過ごしていた。ある日、授業中に教師から「すぐに家に帰りなさい」と言われ、自宅に急いで戻ったものの、私は父の傍らでただ呆然としていたのだ。当時すでに会社員だった兄は、私に少し遅れて帰ってくると、ラジオが大きな音でかかっているのを聞きとがめた。その一言で、はっと我に返ったのを覚えている。

 その父の通夜でのことだ。親類とおぼしき人が私に「あなたが春子さんのお子さんですか」と声をかけた。私の母は「正(まさ)」だ。「何かあるな」と感じた私が、父の遺品を整理していると、新聞記事が出てきた。「橋本龍伍は、朝鮮総督府の政務総監を務めた大野緑一郎の女婿」と書いてある。そこでようやくすべてが分った。

橋本龍太郎氏 ©文藝春秋

 大野氏の娘の「春子」が父の最初の妻、つまり兄の実母で、私の母は後妻だったのだ。数日後、風呂に入っている母に、戸の外から「大野さんとウチの関係は分っているから」と告げると、母は「やがてお前にもちゃんと話さないとね、と龍太郎と話していたのよ」と言った。私に16年間何の疑念も抱かせず、兄と、血のつながっていない母・正は、そこまでの信頼関係を築いていたのかと驚き、感心した。

 県知事時代、西武ライオンズが高知でキャンプをしていたので、当時のオーナー、堤義明氏と食事をする機会があった。「橋本さんも、兄弟でおふくろが違うから、いじめられたり色々大変だったろう」と言われ、否定もしづらく、言葉を濁すばかりだった。