「のと鉄道」沿線の桜は満開に

 思いおこせば昨年元日夕刻、M7.6の地震とその直後の津波に襲われた能登半島は電気・上下水道・ガス・通信とすべてのインフラを絶たれ文字通り極寒の闇に包まれ、人々は絶望のどん底にあった。しかし、それからわずか3カ月の後、新学期や入学式を迎えた新入生らを学び舎に無事送り届けんと地元の足、「のと鉄道」は奇跡的に復活を果たした。それはまさに獅子奮迅の働き、故郷をなんとか復興させんとまさにその一念で不眠不休で働き続けたのである。その結果昨年に続き、今年もその沿線では桜が開花し始め、この時期満開を迎えたのである。

 

 特に「ソメイヨシノ」約100本咲き乱れる「能登さくら駅」の異名をとる「能登鹿島駅」とその周辺には地元の衆や鉄道ファンのみならず、多くの観光客が駆けつけ、その美しさに感嘆の声を上げ、夜になってもライトアップされた夜桜目当てのファンまで現れ、笑顔と歓声が絶えることはなかった。

 
 

 その人気たるや週末には能登半島を周回する国道249号線が能登鹿島駅に向かう車で大渋滞……いや全然動かんくらいなのである。輪島方面から向かっていた不肖・宮嶋なんぞ、車で駆けつけるのをそうそうにあきらめ、となりの西岸駅に駐車せざるをえんかったくらいである。

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 不肖・宮嶋、「撮り鉄」「乗り鉄」なんぞという言葉がなかった頃より、鉄道写真に触れてきた自負もある。なにせ、幼少のころより、写真に親しみ、箸より先にカメラを手にし、そのころのメインの被写体が近所の山陽本線を走っていた鉄道やったのである。プロのカメラマンになった今も被災地にいても鉄道を見ると“撮り鉄”の血が騒ぐ。

 能登鹿島駅のホームは満開を迎えた週末の土曜日の4月12日、数少ない晴れの日ということもあり、文字通り立錐の余地もないほど老若男女が集い、そぞろ歩いていた。「花より団子」とばかりに木造駅舎の並びには団子や綿菓子、粉もんの屋台が立ち並び、そこで焼くイカの香ばしい匂いが立ち上り、その煙がホームにまで漂い、人々を誘っては、駅舎下の海辺にまで霞がかかるほど繁盛していた。

 子どもたちが団子をほおばりホームを飛び跳ねだす。母親たちが危ないから走っちゃダメと串をくわえたまま追いかける。老夫婦は桜吹雪に足を止めその巨木を見上げては、今度はお互い見つめあう。そして桜の花は皆を笑顔にする。

 我が家が津波や土砂崩れに飲まれ、いまだ不便な避難所や仮設住宅暮らしを強いられる住民もおられれば、仕事どころか全財産を、家族すら失った方もいる。皆辛かったこれまでの15カ月以上に渡る日々を、またこれからの生活の不安を、桜を愛でることでほんのひと時とはいえ、忘れ、これからの活力にすることができるのである。