不肖・宮嶋、能登半島に戻って参りました。昨年秋の豪雨災害取材以来やから半年間も足が遠のいていたことになる。能登の民が昨年正月早々降りかかった震災とその直後の津波にいかに立ち向い克服していったか、この目で見て、愛機で記録せんと、またまたやってきたのである。しかし、能登の民を襲った悲劇はそれだけではないのである。

撮影 宮嶋茂樹

ようやく能登に訪れた春

 昨年秋、やっとやっと、復興の兆しを見せ始めた奥能登に今度は豪雨とその後の山津波が襲い掛かったのは、以前紹介させてもろた通りである。正月の震災からなんとか立ち直り、商いを再開したばかりの商店に、不便な避難所からやっと移り住んだばかりの仮設住宅に濁流が容赦なく襲い掛かり、我が家で留守を守っていた女子中学生はじめ16名の無辜の民の命と1500戸以上の平穏な生活を奪い去ったのである。わずか9カ月で、復興半ばで、再び天災に襲われた能登の民の絶望感は察するに余りあり、あまたの修羅場を目の当たりにしてきた不肖・宮嶋も言葉を失ったほどである。

 さらにそれから半年である。再び時折しもそんな能登にも遅れていた春が訪れる。不肖・宮嶋もすでに還暦過ぎ、あと何度、桜花を拝めるのか不安に駆られたわけではない。「残り少なくなった」カメラマン人生、いまからでも少しでも美しいものを、それを愛でるたくましい能登の人々を見、愛機で記録せんがためにもやってきたのである。

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 帝都では散り始めた桜花が能登では満開を迎えつつあり、石川県が誇る名勝「兼六園」には石川県中の、いや国の内外からも多くの観光客が訪れた。その半分……はちとオーバーか……いや同じアジアの民も入れたら半分くらいは外国人観光客やなかろうか、桜をいや美しい自然を愛でる気持ちは国籍、人種、宗教を問わん、はずである。不肖・宮嶋も老体に鞭打ち、さらに能登半島奥に向かい、歩みを進めるのであった。