米アマレス名門校で過ごしたハイスクール時代
――とは言え、それだけ身体が大きかったということは、アメリカのハイスクールでは何かスポーツを?
ジュン 中学時代は体が大きいという理由で柔道をすることになったのですが、あまり強くないながらも基礎体力は付いたというか。留学すると、父親が学生時代にアメフトとレスリングをしていたので、自分たちもすることになったんですよ。父親は、高校生のときにアマレス(アマチュアレスリング)のヘビー級チャンピオンになったような人物で。
レイ そもそも自分たちは英語がそんなにできなかったので、スポーツよりもまずは勉強をこなすことが精一杯でした。でも、父親は「トライしてみなさい」と。
ジュン 高校はサウスダコタ州にあるアマレスの名門校でした。父親から、「この時間にここに行きなさい」って言われて向かうと、何も言われないまま一斉に走り出して、そのまま練習が始まるという。
――何か紹介とか号令があるわけでもなく?
ジュン 何も言われずに。
レイ 気がつくと始まっていて、2人とも知らないうちに入部していました。
――さすが軍人、スパルタですね……。
ジュン 練習が厳しいことで有名で、翌日は半分くらいの数に減っていましたけど、いろいろ手配をしてくれた父親にかっこ悪いところは見せられないと思って、辞めるっていう考えはなかったですね。
レイ アメリカはシーズンごとにスポーツが変わるので、秋はアメリカンフットボールをやって、冬はアマレスを、春は陸上。それを3年間、続けました。
ジュン 留学をした他の日本人からは、現地でも日本人のグループとだけ仲良くしてしまって、英語が身に付かなかったみたいな話をたびたび聞くんですけど、自分らはスポーツをやったことで日本人以外の友だちがたくさんできたんですよ。結果的に、すごく世界が広がったと思います。
レイ やって良かったよな。
ジュン 体力が付くことで自信も付いてたので、将来は格闘技やスポーツの世界でご飯を食べていきたいという気持ちが芽生えたのも、ハイスクール時代があったからこそですね。
レイ アメリカンフットボールは、チームスポーツじゃないですか。コミュニケーションを取らないといけないので、スポーツを続けていたことが英語の上達にもつながったと思いますね。
――ハイスクールでの経験が、後にお二人をスポーツの世界へと誘う原点となるわけですが、子どもの頃の夢は何か別にあったのでしょうか?
ジュン 子どもの頃は……俺はとにかく宇宙が好きだったので、宇宙飛行士になりたいなと思っていましたね。
レイ 自分は絵描くのが好きだったから漫画家とかいいなと思っていたな。