――お二人とも、今とまるで違うじゃないですか(笑)。
ジュン ただ、ありがたいことに地元・角田市のPR大使をやらせていただいているんですけど、角田市は「角田宇宙センター」というJAXAさんの施設があるので、ゆくゆくはJAXAさんとお仕事をしたいなと思っています。
レイ じゃあ俺はイラストを描くお手伝いがしたいな。
念願の相撲部屋に仮入門するも1週間で「1回、戻ります」
――ジュン選手は、K-1選手を夢見て、帰国されるんですよね?
ジュン 当時、K-1がとても流行っていたので、自分は格闘技をやりたいと思ったんですよね。帰国したらK-1とゆかりのあるキックボクシングジムに通って、選手を目指そうと思いました。ですが、父親から短期大学でもいいから大学に進学しなさいと。たしかに社会経験をもう少し積んだ方がいいなとも思ったので、大型トラックを運転できる免許を取って、大学に通いながら、トラック運転手をしてお金を貯めていたんですよ。そしたら、日本に帰る前くらいかな。弟が突然、「相撲をやりたい」って言い出したんですよね。
レイ 兄は格闘技でしたけど、自分も何か体を使ったことがしたくて何がいいんだろうって考えていたんです。高校3年生のときに、YouTubeで朝青龍関の動画を見て、衝撃を受けて、お相撲さんになりたいって思うようになって。自分も一緒に短期大学に通っていたんですけど、相撲の入門には23歳未満という年齢制限がある(※アマチュアで一定の成績を残した場合は25歳未満まで受験可能)。のんびりしていられないなと思って、自分は大学を中退して、一足早く帰国して、出羽海部屋に行ったんですけど……1週間くらいで、「1回、戻ります」って実家に帰ってきたんです(苦笑)。
――ずっと2人一緒に行動していた環境から、1人だけに。さらには、アメリカから日本の相撲部屋へ。環境が激変して、調子が合わなかったのかもしれないですね。
レイ それはあるかもしれないです。ただ、もしこのとき自分だけで続けていたら、ジュンは相撲をしていなかったかもしれない。
ジュン たしかに、弟から誘われていなかったら、そのままアメリカに戻ってトラックの運転手になっていたかも知れないですね。
レイ 結果的に相撲をやっていなかったら、2人とも絶対プロレスはやっていない。すべて今につながっているというか、1週間で帰ったことが今となっては良かったというか。あらためて2人で入門したからこそ、今の斉藤ブラザーズにつながっていると思いますね。
撮影=杉山秀樹/文藝春秋

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