父はアメリカ海軍、双子が生まれる前に帰国することに…
――実力はもちろん、その人となりも“斉藤ブラザーズ”の魅力です。幼少期についてお伺いしたいのですが、お二人のお父さまはアメリカ海軍の軍人で横須賀に駐在していた。そのときに、お母さまと出会うんですよね?
ジュン そうです。自分たちを出産するとなったとき、父親は日本での滞在期間が終わるということでアメリカに戻ることになりました。ただ、母親は自分たちとは父親違いの息子と娘がいたこともあり、日本を離れるのが怖かったそうです。それで母は日本に残ることを選んだんですね。自分たちは、本当は横須賀で生まれる予定だったんですけど、父親がアメリカに帰らなければいけないということで、母は地元の宮城県角田市に戻って、自分たちを出産しました。
レイ 仲が悪かったわけではないのですが、軍人だったので自分の意思とは関係なく離れ離れに。戸籍上は、離婚という形にはなっているんですけど。
――お父さまに会われたことは?
レイ その頃は写真で見たことがあるくらいですね。あと、手紙でやり取りもしていました。
ジュン 中学を卒業するとき、父親に会ったことがないということで、レイと相談してアメリカに留学することを決めたんです。英語も身に付くし、人生経験にもなるんじゃないかって。
レイ 父親もやっぱり来てほしいって気持ちがあったみたいで。
ジュン 父親からはアメリカを離れることは難しいから、こちらで一緒に暮らさないかというような手紙が届いたりしていたんですよね。ですから、父親に会ってみたいという気持ちがどんどん強くなって。
レイ アメリカのハイスクールに通いたいと伝えると、父親は飛行機のチケットを用意するから、中学校を卒業したらこっちに来なさいと手配してくれたんです。卒業してすぐ、3月15日にアメリカへ出発しました。
――多感な時期に、特殊とも言える家庭環境で育っています。精神的に不安定になったりはしなかったのですか?
レイ 自分たちは一切なかったですね。
ジュン 生まれたときから母子家庭で、父親がいないことが当たり前でした。自分たちは中学校の時点で180センチを超えていました。もっと身長が伸びると思っていたんですけど、思いのほか伸びなかったなぁ(笑)。
――よく食べる兄弟だったんだろうなと想像できます(笑)。
ジュン 自分らは人の2倍も3倍もご飯を食べていたので、母親には苦労をかけましたね。
レイ 冷蔵庫の中に食べ物があると食べてましたから。次の日のお弁当用の食材なのに、全部食べたりしてよく怒られました(笑)。