集団強姦の加害者たちの言い分
「相手に内緒で」と名づけられたドミニクのチャットルームで勧誘された加害者のうち、起訴された50人の肩書きはバラバラだった。年齢は20代から70代にわたり、多くが子持ち。職種にしても、政治家やジャーナリスト、刑務所長、軍人、トラック運転手などさまざまで、ジゼルと知り合いだった近隣住人まで参加していた。同性愛者を自称する男も複数おり「ドミニクと性交渉したかったから渋々その妻に危害を加えた」とする供述まで出てきたのだから衝撃というほかない。現場でおかしさに気づいた参加者もいたものの、通報した者は誰もいなかった。
多くが夫婦の同意にもとづく「プレイ」と思っていたと主張したが、なかには性交渉における同意の概念そのものを知らなかったり「夫が許可していれば大丈夫」だと考えていた者もいた。しかし、当のドミニクは「全員レイプとわかっていた」と供述している。主犯はフランスの加重強姦罪で最高となる20年の懲役、参加者はおおむね3年から15年の懲役が科された。
「マザンの怪物」と呼ばれるようになったドミニク・ペリコは、凄惨な虐待家庭に育ち、14歳のとき建設業見習いとして働いていた際に集団強姦に強制参加させられて「特殊性癖」に目覚めたと語っている。結婚後は良き夫として通っていたものの、1990年代には若い女性への殺人未遂も犯していた。2010年代、ジゼルに対する暴行をはじめると夢中になり、依存状態となった。逮捕後にも反省の色を見せなかったというが、妻を愛していると訴えつづけた。「逮捕さえされなければ妻も幸せなままだった」。
被害者である妻が名前を明かし裁判を公開した理由
「私の人生は崩壊した」。ジゼル本人いわく「自分がゴミ袋のようになぶられている」証拠の数々を見せられた彼女は、打ちのめされ、離婚し、家を出た。しかし、2024年、決意を固める。被害者としての匿名の権利を放棄し、公開裁判を行ったのだ。すべては、ほかの性暴力被害者女性のため、社会を変えるためだと証言台で主張した。「性被害による羞恥心は、被害者が抱えるものではありません。恥を負うべきは加害者なのです」。
こうして、事件の実態が世界中に報道されていった。裁判には多くの女性たちが駆けつけ、イギリスのカミラ王妃や仏独の首脳も支援を表明していった。2025年、70代になったジゼルは、米タイム誌の「今年の女性」に選出されている。彼女に付き添った次女のキャロラインは、性加害に使われる薬物検査キットの開発と普及につとめる団体も設立した。

