加計問題に揺れる安倍政権に「告発」によって打撃を与えた前文部科学事務次官・前川喜平氏。知られざる官僚人生を聞く150分インタビューの最後は民主党政権を挟んでの、2度にわたる安倍政権での忘れられない出来事、そして辞任の日のこと。聞き手は『文部省の研究』の著者・辻田真佐憲さんです。
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教育基本法を改正したいとは思っていませんでした
――教育行政について安倍内閣は政治色の強い打ち出し方をしています。たとえば、2006年の第1次安倍内閣時の教育基本法の改正。この時はどんな仕事をされたのでしょうか。
前川 官房総務課長として大臣の伊吹文明さんに仕えていました。総務課長というのは、大臣のそばにいるのも役目の一つなんですが、伊吹さんから言われたのは「お前は国会に行ってチョロチョロするな。俺の側におれ」と。ただ、そうもいかないんです。国会対策の根回しに、色々と動かなければなりませんからね。
――教育基本法の改正の動きには、どう対応されていたのでしょうか。
前川 生涯学習政策局が担当していましたが、国会に提出する前に、自民・公明で長いこと与党協議をやっていたはずです。今から考えると公明党が相当なストッパー役を担い、決定的に国家主義とか全体主義にいかないよう、歯止めをかけてくれたと思います。私自身は1947年のオリジナルの教育基本法が良い法律だと思っていましたから、改正したいとは思っていませんでした。
――決定的な国家主義ではないにせよ、改正された教育基本法には「道徳心を培う」だとか、「我が国と郷土を愛する(…)態度を養う」といった方向性が盛り込まれました。
前川 旧法にあった大事な言葉「教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」という文言がバッサリ削られてしまったのは大きかった。この文言の「直接」というのは、すなわち教育と国民との間に政治権力は介在しない、ということを言っているわけです。あくまで教育とは、教育する側と国民との直接の関係ですよと。これが改正法では「この法律及び他の法律の定めるところにより」という言葉に置き換わってしまい、法律の根拠さえあれば政治は教育にどんどん介入できるという書きぶりになってしまった。
――なるほど。
前川 ただ、その前にあった言葉は残っているんです。「教育は、不当な支配に服することなく」。これを残したのは公明党だと思います。
2009年の政権交代で文部省は「勝ち組」と言われた
――その後、2009年9月に政権交代があり民主党政権が誕生します。官僚はああした大きな環境の変化をどう受け止めるものなのでしょうか。
前川 まぁ、人によってはえらいことだ、どうしようってオロオロしたんでしょうが。私はチャンスだと思いましたね。
――チャンスと言いますのは?
前川 私は元々、文部省に入ったときから組織に違和感を持っていたわけですから、よしこれで文科省もいよいよ変われるチャンスかなと思ったりしてました。特に民主党は高校無償化ってすでに政策で掲げていましたでしょう。
――一方で民主党政権は政治主導を強く掲げて「事業仕分け」が行われました。例の蓮舫さんの「2位じゃダメなんですか」発言。あれは文科省のスパコン研究が対象にされたものでしたけれども、どう思いましたか?
前川 あれはもう、困りましたよ(笑)。とにかく無茶苦茶言われるのには往生しました。でも、民主党政権では「文科省は勝ち組」と言われていたんですよ。
――どういうことですか?
前川 あのとき「コンクリートから人へ」ってスローガンで民主党はやっていたでしょう。前原(誠司)国土交通大臣が八ッ場ダム工事を中止したり、公共事業をバッサリ減らしましたよね。それで、人といったら、やはり教育や文化行政なんですよ。だから高校無償化が一番の目玉政策だったわけで、そのために4000億円の財源をひねり出してくれた。
――ちなみにこれは財務省出身の方から聞いたんですけれど、「2位じゃダメなんですか」のときのように、文科省は攻撃されるとノーベル賞受賞者や金メダリスト、宇宙飛行士という「国民の英雄」を前面に立たせて国民の支持を得て、予算獲得のための組織戦をしてくると(笑)。だから文科省は財務省にとって意外と手強いというのですが……。
前川 ハハハ。私は主に教育行政をやっていたので、華々しい国民的英雄があまりいない分野でしたが、文化・スポーツ・科学の分野ではそれができるかもしれない。