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SEALDsの奥田愛基くんの名前を出して、内定式で挨拶した

――「右傾化を憂う」という意味では、次官をお辞めになってから行った名古屋の中学校での講演をめぐって、文科省から市の教育委員会に執拗な問い合わせがあった件。JC(日本青年会議所)出身の文教族議員からの介入があったなどし、前川さんもこれに批判をされていたと思います。JCという団体については、今どのように考えていらっしゃいますか。

前川 日本をファシズムに引きずり込む危険性があると思っています。もともと私は30代の頃、JCの人たちとはよく付き合っていたんです。教育に対しても非常に熱心な人が多かった。ところがいつの頃からか、単なる右翼団体になってしまったでしょう。右翼に乗っ取られたと言ってもいいかもしれない。

――一方で安保法制反対デモで前面に立っていた学生団体、SEALDsに対してはどう思われていましたか?

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SEALDsの奥田愛基氏 ©時事通信社

前川 頼もしいと思っていましたよ。リーダーの奥田愛基くんが国会の公聴会に参考人で出席したことがあったでしょう。あの時に「どうか政治家の皆さんも個人でいてください。個人としての考え方があるはずです。皆さんには考える力があります」ってね。いいこと言うなと思いましたよ。後に、人の紹介でお会いしました。

――そこまで感動したんですね。

前川 安保法制が成立した後、10月1日のことですが、この日は翌年に入省する新人の内定式。その夜に次官、審議官(註・いわゆる省名審議官)、要するに省のナンバー1と2が開会の挨拶と締めの挨拶をするんです。私はこの時文部科学審議官でしたから、確か締めの挨拶をしたと思いますが、「皆さん、個人でいてください」「組織の中に埋没するな。そう、SEALDsの奥田愛基くんがいいこと言っていたよ」って語りかけたんです。

――奥田さんの名前を出して、言葉を引用したんですか。

前川 そうそう。「組織に過剰適応しないで、自分自身でいるということが大事です」ってね。

 

次官になって、面倒臭かった仕事

――まさに「異色の官僚」のエピソードだと思いますが、その挨拶の翌年、ついに次官になられ文部科学省の事務方ナンバー1の立場になられます。安倍政権下での次官就任。その時のお気持ちはどんなものだったのでしょうか。

前川 早く辞めたかったですね(笑)。というのは、この人に文化勲章を出せとか、いろんな政治家から嫌な話が来るわけです。次官だからと言って勲章を決められるわけじゃないですからね。まあ、これが面倒臭くて……、苦痛でした。ただ、私を次官にした大臣というのが馳浩さん。馳さんとはとても仲が良かったんです。

――馳さんはどんな印象の政治家でしたか?

前川 私と波長の合う方でした。馳さんがある時ポロッと言ったのを覚えていますが「政治家としてのライフワーク、目標は日朝国交正常化だ」って。朝鮮学校にも本当はとても理解のある方です。ただ、安倍政権の中にいる限りはそんなこと表立って言えないわけで、朝鮮学校への補助金見直し通知も馳大臣の下で出しているんです。あれはご本人としては出したくなかった通知だと思いますよ。

 

――仲がいいというのは、例えばどういうことなんでしょうか。

前川 先だって私が東大で講演していたら、後ろの方に馳さんが立って聞いているんですよ。私は例によって言いたいことを喋っていたんですが、あやややや、これはまずいと、急に舌鋒が鈍くなりましてね(笑)。

――後に加計学園問題について首相補佐官から呼び出しがあったことなどを発言し、安倍政権の暗部を告発することになりますが、当時から抗議して辞めたいと考えることはなかったのですか?

 

前川 加計学園問題に関わっている途中から、職員の天下り問題が火を吹いてしまった。これは省のトップとして私が責任を取らなければならない問題だと考えていました。だから、加計問題のことで抗議の辞職というようなことを考える余裕はありませんでしたね。2016年11月の終わり頃からは、天下り問題の傷口がどんどん広がって行ってしまい、正月休みに色々と考えた結果、これはもう引責辞任しかないなと心に決めたんです。