フランシスコ・ローマ教皇が21日、死去した。88歳だった。カトリック初の中南米出身教皇で、2019年には広島や長崎を訪問した。フランシスコ教皇はどんな人物だったのか。2016年から20年まで駐バチカン大使を務めた中村芳夫さんへのインタビュー記事をお届けします。
キリスト教カトリックの最高指導者・ローマ教皇は、2019年末、38年ぶりに来日した。この立役者が、経団連の副会長・事務総長を経て2016年から駐バチカン大使を務めていた中村芳夫さんだ。外交未経験にもかかわらず、なぜ教皇来日というミッションを実現できたのか――。(前編/全2回)
バチカン大使として教皇にお目にかかるとは夢にも思わなかった
――『バチカン大使日記』(小学館新書)では、民間出身として異例のバチカン大使に抜擢された中村さんの活躍が描かれています。そもそも中村さんにとって、カトリックの総本山であるバチカンとはどのような存在だったのですか?
【中村】現代はGゼロ、つまり国際的なリーダーが不在の時代です。そんななか全世界に約13億人の信徒を持つカトリック教会のトップである教皇フランシスコは、モラルリーダーと呼ばれ、世界的な強い影響力、発信力を持っています。
例えば、教皇が掲げる「核なき世界の実現」あるいは「貧困の撲滅」……。日本が世界に発信すべきメッセージと重なります。その意味でもバチカンは、日本と価値観を共有できる存在――そうしたイメージを持つ国です。
一方で大使として赴任するまでは、バチカンをとても遠く感じていました。1973年に妻との結婚を機に洗礼を受けた私にとって、教皇にお目にかかれる日がくるなんて思ってもいなかったのです。
それに私は、ずっと経団連で働いていたでしょう。まさか民間出身の私が、外交官としてバチカンで仕事をして、教皇にお目にかかる機会をえられるなんて……。夢にも思ってもいないことの連続でした。