そもそも鶴田が芸能活動を始めた発端は、高校2年のとき、広告代理店に入ったいとこから、CMのエキストラが足りないので友達を連れて来てほしいと頼まれ、撮影に参加したことだった。この現場でいとこの上司が彼女に目を留め、ちょうど芸能事務所を開くためタレントを探していた知人に引き合わせた。ここから事務所立ち上げと同時に所属タレント1号となり、デビューしたものの、当初はバイト感覚だったようだ。

鶴田真由写真集『element』(1995年、ワニブックス)

引退するか悩んでいたが…大沢たかおの助言で決意

 大学に入ってからもあくまで学業優先で芸能活動を続け、3年になって同級生たちが就職活動を始めると、自分も引退して就職しようかどうか悩んだらしい。そんな時期、オーディションに立て続けに落ちたあとで、日本石油(現ENEOS)のガソリンのCMが決まった。本人も久々につかんだ仕事とあって、気持ちを入れてやったという。

 その撮影中、スタッフや共演者と色々と話し合った。そこで「この仕事、好きなんでしょ。続けたいんでしょ。もし、真剣にそう思ってるなら、やめるなんて考えちゃだめだな」とアドバイスを受け、大学卒業後も俳優を続ける決心がついたという(『アサヒグラフ』1992年10月30日号)。ちなみにこのとき助言してくれたのはCMで共演した大沢たかおだと、鶴田はのちに明かしている(「SWITCH ONLINE」2018年8月31日配信/『ザ・共通テン!』フジテレビ、2025年4月18日放送分)。当の大沢はこのころはモデルで、鶴田には「自分は俳優はやらない」と言っていたようだが、のちにやはり俳優の道に進んだ。

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大沢たかお ©文藝春秋

トレンディドラマでブレイク…「3日以上の休みはいらない」

 CM自体も評判を呼び、鶴田はCMからトレンディドラマに出演という当時の若手俳優がブレイクするパターンに乗る。当時、事務所には「3日以上の休みはいらない」と言っていたほど、仕事が楽しくてしょうがなかったという。1994年にはフジテレビの月9ドラマ『妹よ』に出演し、さらに翌1995年、同じくフジの『正義は勝つ』でヒロインの新米弁護士役に起用された。

フジテレビ系『正義は勝つ Justice・for・all』(1995年)。主演は織田裕二(右)、鶴田は新米弁護士を演じた(FODより)

 トレンディドラマのヒロインになることは、俳優に針路を定めて以来の目標であった。しかし、それがわずか2~3年で実現してしまった途端、鶴田は違和感を抱く。これについて本人は、《そのとき、実は自分が目指していた“目標”の中身が、全くのからっぽだったことに気づいたんです。女優としてどう演じて、何を表現したいのかという考えが当時の私には全くなかった。単純に“トレンディドラマ”というきらびやかな枠や形を追い求めてたんだ、って》とのちに顧みている(『日経WOMAN』2006年4月号)。