30歳前後のこのころは、アウトプットも充実していった時期だ。時代劇映画『梟の城』(1999年)では監督の篠田正浩、初舞台となった『真情あふるる軽薄さ2001』(2001年)では演出家の蜷川幸雄と、それぞれの分野の巨匠とも仕事をした。
32歳のときに美術家と結婚
2002年には蜷川に師事した井上尊晶の演出で、劇作家・野田秀樹の未発表戯曲を初演した一人芝居『障子の国のティンカー・ベル』で2度目の舞台を踏む。井上も演出はこれが2作目で、このほかスタッフにもこれまでの演劇の流れとはちょっと違う新進気鋭のクリエイターが集められた。このとき、舞台美術を手がけたのが、当時ニューヨークを拠点に活動していた美術家の中山ダイスケである。鶴田は中山とこの公演の直後、同年12月に結婚した。結婚式はごく内輪だけで済ませるという慎ましやかなものだったとか。
鶴田は父親が美術関係の仕事をしていたこともあって、幼いころから展覧会に連れて行ってもらうなど美術に親しみ、大学でも西洋美術史を専攻した。卒論は、画家ゴッホの晩年の作品と精神状態の関係をテーマに提出している。それだけに、美術家と結婚したのは自然な流れと思わせる。ただ、夫とは何かにつけて着眼点が違うようだ。
鶴田は卒論のテーマからもうかがえるように、昔から人間の弱さや不安定さに興味を抱いていた。そのため、映画を観ていても、どうしても登場人物の心の動きを追ってしまい、細かいところまでは見ていないらしい。本人いわく《だから夫と映画を観ていると、夫が『ああ、あそこで置いたコーヒーカップがここでつながるのか!』なんて言ってても、私は『コーヒーカップなんて置いてあった?』ってピンときていなかったりして(笑)。『なんでそこを見てないの?』って夫に巻き戻されたりする》というようなことがよくあるとか(「ESSEonline」2024年12月21日配信)。そう語りつつも、夫婦でそれぞれ注目するところが違うことを楽しんでいるようだ。
夫の中山は、2007年に東北芸術工科大学の教授となり、2018年からは学長も務める。教え子である画家の近藤亜樹が制作した短編映画『HIKARI』(2015年)では、作品の一部を成す油絵によるコマ撮りアニメーションで鶴田が声優の一人として参加した。

