国家から「反社会的組織」と定義されている暴力団。その構成員や準構成員の家族、とりわけ子どもはどのような人生を過ごし、大人になっていくのか。『ヤクザの子』(石井 光太著、新潮社)から、16歳の風俗嬢とヤクザが不倫した末に生まれた赤塚未知のケースをお届けする。なお、登場する証言者やその関係者は、身に危険が及ぶことを考慮して全て仮名にしている。(全3回の2回目/前回を読む/続きを読む)
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未知は語る。
「お父さんは、女にだらしないヤクザだったんだろうね。私と妹を引き取った時点で、四度の結婚歴があって、全員で12人の子供がいた。私らが養子に入った家にも、お父さんと義母の子供が3人いた。そこに私たち姉妹がやって来るんだから、義母からすれば『愛人に産ませたガキを連れてきやがって、ふざけんな』ってなるよね。でも、お父さんには言えないもんだから、私たちに暴力を振るってたんだ。
義母の虐待はエグかった。実子3人と私たち養子2人を徹底的に差別したね。実子はベッドで寝かせるのに、私たちは布団も与えられずに固い床で寝かせられた。ご飯もすべて残飯で、まったくもらえない日もあった。さらに、何かにつけて文句を言っては殴ってきた。立っていれば『邪魔だ』って殴られて、すわっていても『邪魔だ』って殴られる。火のついたマッチを体中に押し当てられたこともあった。
お父さんは虐待に気づいていたけど、見て見ぬふりをしていたよ。元を正せば自分が悪いんだから何も言えた義理じゃないよね。私たちにしてみたって、家に置いてもらえるだけで御の字なんだから、助けてなんて言えなかった。お腹が空いたら、お父さんの財布から金を取って食べ物を買っていた」
義母の暴力にさらされる日々の中で、未知にとって唯一の気晴らしが火遊びだった。義母に殴られた後、隠れてマッチを擦っていろんなものを燃やし、火を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。
だが、これが思わぬ災いを生む。
