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小2で煙草を吸い始め、小4でシンナーに手を出した
ある日、火遊びから火事を起こし、家を全焼させてしまったのだ。家族は無事だったが、未知は一人だけ家族から引き離され、問題行動を起こす子供たちが集められる施設へ送られた。
そこは、山梨県の片田舎にある「K研究所」だった。全国から数百人の問題児たちが集められ、矯正指導が行われていたのだ。今でいえば、発達特性を抱えた子供や、虐待によって人格がゆがんだ子供が、当時は「問題児」として一括りにされて預けられていたのである。施設は子供たちを宿舎で寝泊まりさせ、集団生活や農業活動を通して、意識改革を促していた。
昔はこうした施設が全国各地にあったが、そこで行われる指導は必ずしも適切なものではなかった。未知に言わせれば、K研究所も同じで、職員は日常的に体罰を行っていた上に、子供同士のいじめもはびこっていた。悪い先輩の影響で、未知は小学2年から煙草を吸いはじめ、4年生でシンナーに手を出した。
小学6年の時、未知はK研究所で立て続けに暴力事件を起こし、教護院(現・児童自立支援施設)へ送られることになった。もはやK研究所でさえ手に負えないほど、荒れていたのだ。
教護院を出たのは、13歳の時で、帰住先は父親の敏夫のもとだった。千葉の家で暮らすようになったことで、再び義母による虐待の日々が幕を開けた。
