永瀬玉の詰みだけを読んでいた藤井
対局者へのインタビューが終わり、感想戦が始まってすぐ2人の白い歯がこぼれた。藤井はいつも通りだが、永瀬もよく笑った。先手で負けて、ショックを受けているはずなのに、それでも普段と変わらず意見を交わす。永瀬の精神力はすごい。本局だけではない。何度も何度も打ちのめされているはずなのに、また勝ち上がってきて藤井の前に座り、全力で戦う。本当にすごい。
やがて藤井が詰ましにいった局面になった。藤井が詰めろをかける手はどうかと盤上に角を置くと、永瀬はすらすらと詰み手順を示して「ああっ、そっか」と藤井を驚かせた。
私は藤井でも読み抜けがあるのかと、ほっとした、のではない。逆に、背筋が寒くなった。勝負勘まで研ぎ澄まされたのかと。
将棋は数学ではない。すべてを証明する必要はなく、1つ勝ち筋を見つければ他を調べる必要はない。それが手順が長かろうと危険な手順だろうと緩手だろうとかまわない。
藤井は読み抜けていたのではなく、むしろ効率的に読んでいたのだ。
相手が藤井でなかったのなら、永瀬の逆転勝ちとなったかもしれない。だが皆が詰めろをかける手を読んでいるとき、藤井はただ一人、永瀬玉の詰みだけを読んでいた。これでは罠にかかりようがない。
終盤に時間を残した見事なタイムマネジメント。2日制の終盤になっても読みの精度が落ちない将棋体力。そして罠を回避する勝負勘。盤上の指し手だけではなく、すべてが成長している。
タフな将棋だった名人戦の幕開け
ふと佐々木と近藤を見ると、真剣な目で盤上を見つめていた。この2人を倒すんだという顔つきだ。そして佐々木が耐えきれないかのように口を挟み、藤井が高速詠唱で打ち返す。そうだ。立ち向かえ。挑戦し続ける永瀬のメンタルを見習え。
感想戦が終わり、控室に戻って佐々木が「藤井さんの感想戦に口出しするのは怖いなあ。『そんな手あるんですか』と、すぐに具体的な指し手で反論してくる」と笑った。そう言いながらも、もっともっと藤井と話したかったという顔をしていた。
島が「読む量がとても多かった将棋でしたねえ」と本局を振り返り、私もうなずいた。疲れた。開幕からタフな将棋だった。
後日、永瀬に話を聞いたところ、「最後の詰みはわからなかったですが、歩頭の桂では足りないと思っていました。終盤、正確に指されたので仕方ありません」と語った。敗戦を引きずることはありませんと、表情で語っていた。
これが日本将棋連盟101年目の名人戦幕開けだ。これからもすごい将棋を見ることになるだろう。
写真=勝又清和
